支那軍は、あんなに丁寧に作つた陣地を、どうしてあゝ簡単に投げ出すかといふと、それには、わけがある。強い弱いといふ問題以外に、陣地といふものに対する考へ方、観念が違ふんです。いゝですか、どうせ一日か二日で退却するんなら、弾丸さへ防げればよささうなもんだ。なにも、あゝ馬鹿丁寧に、定規をあてたやうに作らなくつてもよささうに思はれる。ところが、支那人は、それ、土といふものに対して、日本人の想像もつかないやうな親しみをもつてゐる。土をいぢるといふことが、ちつとも苦にならないのみならず、それは一種の日常茶飯事です。ごらんなさい、日本の子供は、たとへ百姓の子でも、転んで着物へ土がついたら、起き上つてすぐにそれを払ふでせう。これや習慣でさうなつてゐる。然るに、支那の子供はどうです。転んでも決して土なんか払はうとしない。土のなかで生活してゐるやうなもんだ。泥まみれになることは、汚いことぢやないんです。土工作業でも、日本人なら足で踏みかためるところを、支那人は、平気で手を使ふ。綺麗に仕あがるわけです」
「鉄砲を打つより、その方が面白いんでせう」
「まあ、さういふわけだ。それに、第一、支那軍はちよつとした陣地を作るのにも、そのへんの農民や苦力を大勢使ひます。たゞで使ふ。兵隊は監督するだけだ。これなら、暇をかけて、いくらでも念入りにやれるでせうよ」
朝の空気はそれでも冷いとみえて、時々、年輩の将校が火にあたりに来る。
飛行服の一将校が突然はひつて来て、一方の壁に貼りつけてある地図に向ひ、何やら説明をしはじめた。
それが出て行くと、G氏は、私を地図の前へ招き、今はひつたばかりの情報を聞かせてくれた。
私は、○○機のことが気になるので、そのことをちよつと断つてこの小屋を出た。
やつと尋ねあてると、飛行機は出るばかりになつてゐるが、天津からの気象通報で、向うは霧が深いことがわかつたので、しばらく出発を見合せてゐるといふ話であつた。
松竹映画班の一行がやつて来た。飛行機へ爆弾を積むところを写すのださうである。私も、それは見ておきたい。
○○部隊の○○機数台が、○○キロの爆弾を翼下に抱へ込む操作が開始される。
瞬きをせずに見てゐるのは辛い。
○○部隊長は、腕時計を見てゐたが、そこへ出動命令が下つたらしい。
操縦士一同は部隊長の天幕へ集合した。
「○○部隊はこれより○○方面に出動し、地上○○部隊の攻撃に協力しつゝ、なし得れば……」
若い部隊長の声は、凜然としてゐた。
「自分は××中尉機に同乗する。終りツ」
操縦士の間で、細かい合図の方法などが打ち合はされた。
油断をしてゐると、○○機がいつ飛び出すかわからないので、絶えずその方向へ眼をくばつてゐなければならぬ。藍色のいくぶん華車な胴体が、遠くからでも見分けられるのである。
○○部隊は、一機一機、同じ間隔をおいて順々に、離陸した。それがやがて、規則正しい編隊となつて、南西へ、南西へ。機上の人々の姿がいつまでも私の眼に残つてゐた。
さあ、こゝでどれだけ時間を過したらいゝのか? 出発が明日に延びるやうなことになるまいか?
もう昼も近く、腹は遠慮なく空いて来る。
私はしかたがなく、催促顔を見せに行つた。操縦士は、飯盒の弁当を食つてゐるところである。
「どうも痛くていかん。歯だか耳だかわからないんだ。とにかく、間をおいて、キリキリキリキリツと来るんだ」
そばの機関士に話しかけてゐる。見ると、どうやら熱のありさうな顔色である。
今朝から二度も○○まで往復したといへば、相当に疲れてはゐるであらう。この人がまた天津まで私を乗せて行つてくれるのかと思ふと、済まぬやうな、危いやうな気がして、
「僕、アスピリンを持つてますが、飲んでみますか?」
「いや、熱はないですよ」
アスピリンは鎮痛剤であることを知らないのであらうか。私は無理に勧めてはみなかつたが、空中で痛みが堪へられなくなつた時、飛行機はどうなるのであらうかと、ひそかに気を揉んだ。
出発の時は知らせてくれと、機関士に云ひおいて、私は、またぶらぶらそのへんを歩き廻つた。
さつきのG氏の小屋に近づいた時、私は何気なく、その中をのぞいてみた。
「まあ、はいり給へ」
「天気がよくつて何よりですな」
私は、この眠くなるやうな支那の秋日和をなんと讃美していゝかわからなかつた。
「あゝ、いゝ天気だ。どうです、これは……。戦地にゐると子供みたいなもんだ」
G氏が棒切れで灰のなかを掻きまはしてゐる、その棒の先へ転がり出たのは、うまさうに焼けてゐる二つ三つの薩摩芋であつた。
空中の論理
○○機は午後二時になつて、やつと出発した。
高度の加減か、光線の具合か、来がけに見た時よりも下界は一層単調な物の象を示すにすぎず、私は早くも退屈しは
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