のを面白いと思つた。
「文弱」とは正確にはどういふ意味であるか、語原的な穿鑿は私もしたことはない。
しかし、第一に、「軍人勅諭」に、軍人は文弱に流れてはいかぬと仰せられてある。
質素を旨とすべしといふ御諭示のなかにその言葉が使はれてあり、従つて、質実剛健の気風と相反する傾向を指したものであらうと思はれるが、軍人仲間、殊に陸軍の将校生徒らは、少くとも私の嘗てさうであつた時代には、この言葉をやゝ特別な意味にも用ゐてゐたやうである。
即ち、学課はよく出来るが、教練とか武術とかは不得意なものを往々にして「文弱の徒」と呼び、言語動作が活溌でなく、神経質であつたり、瞑想的であつたり、身なりを気にしたりするやうな輩にもこの言葉が当てはめられる。殊に、同じ学課でも、図画や作文を好み、外国語に熱中し、仮に体操の時間を頭痛がすると称してサボリ、許可されてゐない書物など読み耽るものがあつたら、これこそ「文弱」の尤なるものであらう。
それからまた、女の話などする奴も、文弱の類ひに入れられる。抑も異性との恋愛なるものは、文弱から生れるものだといふ信念をもつてゐるのである。
彼等の思想、言論のはしばしに於ても、この「文弱」といふ尺度はしばしば適用される。第一に、平和主義、人道主義、自由主義、等々の流れを汲んだものはすべてこの範疇に入れるべきであらう。
さて、私が思ふに、これを一般的に論じつめれば、武断的なる精神の忌み嫌ふところは、かの「文化的と称する柔弱さ」にあるのである。
その一例として、幼年学校の教育綱領とでも云ふべきもの、中に、作文教授の方針を規定して、「小説的なるべからず」といふ一項目が掲げられてゐたことを記憶する。
この「小説的」なる言葉の意味は所謂「軟文学」の概念から割出されたものに相違なく、勿論文体については言文一致を禁じ、心理描写や自己分析めいた記述を排し、現実暴露的な物の見方を許さぬといふことは事実であつた。
昔と今とは幾分違ふであらうとは思ふけれど、早く云へば「近代文学」の一面が日本軍人の気質と相容れないものであると同時に、「文化」なるものゝ如何なる意味に於けるデカダンスも、真の武弁には鼻もちのならぬ現象なのだ。従つて、さういふデカダンな傾向をはらむ一切の人間的欲求に同情をもたぬ決意が、当然、今日の重々しい非常時局を形づくつてゐる原因と見て差支ない。
社会心理としてのひとつの重要な問題がこゝにある。そして、日本の知識階級は、たしかに「文弱」に流れてゐるといふことを遺憾ながら私は認め、自動車が飛行場へ着くと、私には一瞥もくれず立ち去つた例の将校の後姿を、しばらく苦笑を以て見送つた。
焼芋
飛び出す○○機、舞ひ降りる○○機、場内の空気はどよめき立つてゐる。
一瞬、捲き起つた砂煙が徐々にはれると、隅々に張りめぐらされた天幕の内外に、慌ただしい地上勤務兵の活動が見え、着陸点を示す紅白の吹き流しが静かに朝風に翻つて、○○大集団の基地らしい威容を感じさせる。
○○機は何処から出るのか、それを確めるために、私は一つの天幕に近づいた。
将校が五六人、その入口に佇んで空を見あげてゐる。いま離陸したばかりの一編隊がもう山の彼方に消え去らうとしてゐた。その時、私は、彼等のうちの一人に問ひかけた。
「天津行きの○○機に乗りたいんですが……」
「あ、新聞の方ですね。まあ、こちらへ……」
まだ時間があると思つたので、私は指されたアンペラの小屋のなかへはひつて行つた。見ると、真ん中に、土を掘つて炭火をおこし、その前へ椅子を引寄せてどつかと腰をおろしてゐる一将校が、穏かな微笑をもつて私を迎へ、
「新聞はどちらですか?」
「いや、新聞ではありません。文芸春秋といふ雑誌です。生憎、名刺をすつかりなくしてしまひまして……」
「あゝ、文芸春秋……。それはそれは……。記事になることがありますか?」
といふ風になかなか如才のない応接ぶりである。私は、これがG氏であるといふことはすぐわかつた。
別に一問一答をしようとは思はず、私は、たゞ、戦場に於ける一高級武官の身辺について観察することの興味で満足した。
しかし、G氏は、極めて熱心に私に話しかける。特に支那の軍隊について、その歴史的特性から説き起した一種の論断には傾聴すべきものがあつた。近代戦に於けるその訓練の程度といふ問題になると、氏は、いきなり私にかう問ひかけた。
「支那兵の構築した陣地といふものを見られましたか?」
「野戦の陣地は見ました。相当大がかりなもんですね」
「大がかりだ。その上、労力を惜しげもなく使つてある」
「まつたく、私も、作業の丹念なのに驚きました。ちよつとした散兵壕でも立派な細工といふ感じですね」
「さうでせう。あれを日本軍なら、さう易々と棄てはしませんよ。
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