と、日本語がなかなかうまい。名刺には、ローヤル・アーチレリイ、即ち、王国砲兵とある。階級は中尉で、語学研究のため日本に派遣されたのださうである。
「で、今度は観戦武官といふわけですか」
「はい、まあ、さうです。実は、日本語の試験が迫つてゐるので、気が気でありません。試験に落ちると大変です。国へ返されてしまひます」
「王国砲兵《ローヤル・アーチレリイ》といふのは、日本の近衛砲兵と同じですか」
「いえ、英国では、砲、工、輜重の特科はみなローヤルといふ名誉の呼び方をします。歩兵と騎兵は、三分の一ぐらゐの聯隊がローヤルです」
「観戦武官は、あなたの外にどんな国の将校たちが今度出掛けますか?」
「この船で、米国、ポーランド、ペルウ、シヤムの人が行きます。現地で多分、フランスなどが加はるでせう」
「君は、今度の旅行で、どういふところを注意して見られるつもりですか?」
「戦争は、どんな戦争でもおんなじです。私、北京といふ都、いちばん見たいと思ひます」
 私は、この青年をつかまへて、支那事変に対する英国の態度まで釈明させる気はしない。
「日本語の試験は誰がするんです?」
「大使館の人です」
「先生は?」
「先生、三人ゐて、個人教授をうけてゐます」
 ベツドの上に例の艶のいゝ帯革がかゝつてゐるので、
「英国ではいゝ革ができるんですね」
「はい、英国の革、有名です。専門家が代々特別な技術を受けついで作つてゐます。それにこの革は古いからなほいゝのです。私の父も砲兵将校でした。その父から貰ひました」
「日本で隊附はされましたか?」
「高田の聯隊に一年ゐました」
「聯隊長は誰でした?」
「○○大佐です。聯隊の生活は、面白いですけれども、隊附の将校は一般に、いゝ語学の先生ではありません」
「それやさうでせう。訛りや方言を何時の間にか教へ込まれますからね」
「いゝえ、第一に、間違つたことを言つても直してくれませんから……」
「なるほど」
 彼は、トランクから数冊の部厚な書物を取り出して網棚の上にのせ、そのうちの一冊を持つて甲板へあがつて行つた。
 私もまた荷物のなかへ入れて来たピエル・ロチの「安南攻略の想ひ出」をかゝへて談話室の一隅に腰をおろした。

     女宣教師

 夕食の時間を知らせるディンナア・チャイムが鳴つた。席の配置をみると、私のテーブルには軍人を除いた乗客がひと纏めに集められてゐる。隣には、比叡山の従軍僧、向ひにはT書記生と支那人Fといふあんばいである。
 日本の将校連は将校連で、別のテーブルを占拠してゐる。外国武官の一行は、また別のテーブル、但しシヤムだけは特別の一卓が与へられてゐる。婦人の乗客が四人、何れも米国人、これがまた独立陣を張つてゐる。天津、北京から避難して来た女学校の先生たちで、もう大丈夫だからそれぞれ任地へ帰るのださうだ。
 何か面白い話が聞き出せさうだが、おいそれと誂へ向きにジヤアナリストの精神を発揮するわけにも行かず、始終隙をうかゞつてゐたにも拘はらず、遂に絶好の機会を捉へ損つた。
 ところが、二日目の日、コレラの予防注射をまだしてないものは二等の食堂へ集れといふ布令が出て、私も三分の一だけ残してあるので、注射液をもつて出掛けて行くと、もうそこには半裸体の群集が押し寄せてゐた。
 私は、順番がなかなか来さうもないので、何時でも裸になれる用意をして一隅のベンチに腰かけてゐると、そこへ、かの米国婦人の一人がのつそりはひつて来た。
 どうするかと思つて見てゐると、つかつかと私のそばへ来て、
「背中へするのか?」
 と訊ねる。
「イエス」
 私は英語がよくわからないけれども、この女の表情はなかなか豊かで、こんなに人のみてゐるところで女を裸にしていゝのかといふやうなことを喋り、子供が泣きだすと顔をしかめ、可哀さうにと、これも眼顔で私に同感を求める。
 私は黙つてうなづき、かうしてゐてはきりがないので、早くすまして貰はうと自分もシヤツの釦を外しだした。で、試みに、その時フランス語で、
「さあ、マドモアゼル、あなたの順番がもうぢき来ますよ」
 と云つてみた。
 彼女は、何を思つたか、大きく眼を見開き、これは敵はんといふ顔をし、こそこそと部屋を逃げ出して行つた。
 その後、彼女だけは、私に会へば挨拶をした。生憎フランス語はこつちの英語ほど覚束ないので、こつちが「モーニング」と云へば向ふは、「ボン・ジユール」と云ふのがせいぜいであつた。
 しかし、いよいよ上陸といふ前の晩、喫煙室で、彼女の連れの一人が、私に碁の打ち方を教へろとだしぬけに云ひ出した。
 私は、本式の碁はあなた方にむづかしいから、五目並べといふ別のゲームを教へようと答へ、二人で三十分ほど五目並べをやつた。すると、そこへほかの三人が集つて来た。一番年寄りの如何にも女学校の舎監
前へ 次へ
全37ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング