つちは、自動車の上だぜ。おまけに、銃を持つてるのはおれともう一人特務兵がゐるきりだ。運転手の××上等兵は、しかし、えらかつたよ。落ちついてやがるのさ。おれたちが車から飛び出して、とにかく応戦してゐるひまに、ゆつくりハンドルを廻しはじめたんだ。弾薬盒の弾丸を二人で道の上へぶちまけて、そいつを代る代るこめたんだが、それを拾ふ手のそばへ、敵の弾丸がピユンピユン跳ねるんだ。不思議と当らねえもんだなあ。こつちだつて、無我夢中さ。眼の前にゐる敵が、どうしても撃てねえんだ。運転台で、『よしツ』つていふ声がしたから、『さ乗れツ』つてわけで、飛び乗つた。そん時、××上等兵が、『やられたツ』ていふから、『どこを?』つて訊くと、片手で肩を押へてるんだ。後ろからは、まだ雨のやうに弾丸が飛んで来る。タイヤをやられたと見えて、車はガタンガタンさ。もう駄目だと思つたよ。しかし、××上等兵はえらかつたなあ。たうとう頑張つて、帰つて来た。たつた今、病院へ連れてつたんだが、軍医殿は急所を外れてるから大丈夫だつて云つたよ。うん、すぐそこさ。あの山の麓の曲陽つてところだ。始めから危ねえと思つて、隊長にもさう云つたんだ。あゝ、さうさ、豚を徴発に行つたのさ。なにしろ、敵前二十米で、あの大きなトラツクを廻れ右させるんだからな。あわてたらおしまひさ。もう少し前へ出てたら、道が狭くなつてるから、どうすることもできなかつたんだ……。最初、前の土手の上で……」
 話がまた始めへ戻りさうなので、私はそこを離れた。
 枯枝を集めて火を焚き、薯を焼いてゐる兵士がゐる。
 飛行機が一台はるか高いところを飛んでゐる。
 敵か味方かといふ穿鑿をするものもない。
 停車五時間半の後に、合図もなく汽車は動き出した。
 定県を過ぎると、日が傾き、線路間近に、支那兵の屍体が転がつてゐるのが眼につく。
 様々な形をしてゐる。俯伏せになり、片腕を額にあてゝゐるのもある。仰向けに、大の字になつてゐるのもある。なかには、今にも起き上らうとして膝をついてゐるのもある。さうかと思ふと、抜殻のやうに軍服だけがぺつしやりと地面に吸ひついてゐるのもある。土のなかから手袋をはめた片手がによつきり出てゐるのをみた時、私の傍らにゐた後備兵は、ペツと唾を吐いた。
 が、かういふ光景はやがて、夕闇のなかに没し去つた。
 と、汽車は、停車場もなにもないところへ停つた。
 何処かで銃声がするといふものがある。
 私は耳を澄ました。さう云へばあの音か知ら? 鉄道に沿つた道路を、逆の方向へ三台のトラツクが走つて行く。武装した兵隊を満載してゐる。
「敗残兵が出たな」
 誰かが囁いた。
「もう、新楽はぢきでせう?」
 私は堀内氏に訊ねた。
「そこが新楽ですよ」
 灯の見えない部落には、しかし、何かが動いてゐる。○○、○○○の集団が、そここゝに宿営してゐることがわかつた。
「今日は、もう前へは出られませんね」
 新楽の南端に沙河といふ河があつて、その鉄橋がまだ修復できないのである。河向ふから汽車が出るには出るのだが、その時間はわからない。
 鉄橋こそいゝ迷惑で、敵と味方が、代る代る毀す。それをまた、代り番こに直すのだが、鉄道関係の人の話では、支那軍の破壊方法はなかなか専門的で、手が込んでゐるさうだ。だから、修繕にも骨が折れるのである。
 新楽の駅に着くと、堀内氏は、荷物を一旦構内の片隅に纏めておろし、部下の一人を見張に残して、早速宿舎の探険に出掛けて行つた。私もむろんそれに従つた。

     支那民家

 停車場司令部はごつた返してゐる。なにしろ、戦場の旅行者はひと先づ此処で「自分の行くべきところ」をたしかめなければならぬ。宿と食糧にありつくためには、○○へ出頭すべきだが、その在りかが第一わからない。明日の汽車の時間も知りたい。副官は声をからしてゐる。
 われわれは、そこへいくと、堀内氏といふ大船に乗つてゐるから、どう間違つても大したことはあるまい。
「たつた今、定県の駅が襲撃された」
 といふ言葉を、私は、辛うじて耳にはさんだ。
 堀内氏は、すたすた、裏道伝ひに新楽の城門を目指して歩いて行くのである。
「詳しいもんですね」
 私は思はず感嘆の叫びをあげた。
「いやあ、なんべんも来てますから……」
 城門をはひると、すぐに「新楽県治安維持会」といふ標札の出てゐる建物があつた。城内氏は、そのなかの一室をのぞき込んだ。五六人の支那人が蝋燭を立てた卓子を囲んでゐたが、堀内氏の姿を見ると、懐しさうに起ち上つて、口々に何やら挨拶を述べてゐる。
 やがてその一人が先に立つて歩き出した。街はひつそりとして、家といふ家は固く門を鎖してゐる。
 月が出たのであらう。空はほんのりと明るく、人影のない街は、却つて無気味であつた。
 と、いきなり、街角をこつちへ
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