か」
さう云つて、屏風の向うを頤で指し、W君は大きく眼をむいた。
市中見物
翌日は自動車で市中を見物した。
民衆娯楽場とも云ふべき鼓楼では、車を降りて屋台店の間を縫ひ、掛小屋の芝居をのぞき、文字通り支那群衆に取り巻かれて、私は少しも不安を感じなかつた。勿論、それはO氏の平然たる態度に影響されてのことであるが、この印象は貴重なものであると信じる。仮面は仮面であらうとも、それはもはや仮面としての欺瞞性をもたないところに達してゐるのである。
名所旧跡も此処だけはといふので、今は公園になつてゐる旧王城の内苑に杖を曳き入れた。
一番高い丘の上から見おろす天下の名宮は、たゞ仰々しく子供じみ、秋の陽を浴びて五彩に輝く棟の重畳が、怪奇な歴史を秘めてはじめて感傷の一つ時を愉しましめるていのものである。
これに反して、半ば色の褪せた廻廊を伝ひ伝ひ、広々とした池のほとりへ出ると俄然、趣きが一変する。
幽邃とは云へぬが、物寂びた豊かな眺めである。
渡し船がある。切符を買つて、それへ乗り込むと、あとから、伊太利の水兵七八人が、どやどやとはひつて来た。
一人が写真機を取出して、仲間を写しにかかつた。われわれは邪魔にならぬやう席を立たうとすると、そのまゝでをれといふ合図をする。
「君たちは天津からやつて来たのか?」
とフランス語で問うてみたら、
「さうだ」と答へた。
更に、私は、訊ねた。
「われわれが日本人だといふことを君は識別し得たか?」
「もちろん」
と、その水兵は愛想のいゝ返事をした。そして言葉をついだ。
「われわれは今度の事変で、こつちへ送られて来たのだが、君たちの国へも是非行つてみたい」
「君たちの艦長がそれを欲しさへすればいゝのだからね」
と云つて、私は笑つた。すると、その問答の意味を仲間に伝へたらしく、みんな声をたてゝ笑つた。
私は調子にのつて、
「僕は欧洲大戦の直後、伊太利へ旅行したことがあるが、南部チロルのメランといふ町は、丁度、君たちの国の軍隊が占領してゐて、君たちが今、天津や北京でみるやうな光景を呈してゐた。チロルの平和な自然と国民的デモンストレーシヨン……。軍楽隊のマーチがいつまでも耳に残つてゐるよ」
通訳がすむと、一同は、大きく眼を見張つていくどもうなづいてみせた。気持のいゝ青年たちであつた。
船が対岸へ着くと、彼等はめいめいに挙手の礼をして立ち去つた。
私が空腹を訴へると、O氏はかねてそのつもりでゐたらしく、
「そこに※[#「にんべん+方」、第3水準1−14−10]膳といふ飯館《フアンカン》があります。これはつまり、宮廷風庶民料理を専門にやる店で、例の西大后の好みから特に宮中でさういふ献立を作らした、それがこの店に伝はつてゐるのです。ひとつ試してごらんなさい」
といふわけであつた。
吹きさらしの前庭に、いくつかの食卓が並んでゐて、公園のレストランとしての趣をそなへてゐる。
軽いランチではあつたが、いく品かの菜汁にそれぞれの工夫を凝らしてあることがわかつた。しかし、料理に関する限り、私は形容の言葉に窮するから、あとはどなたかよろしく。
日が傾くと、水が近いせゐでもあらうか、風がやゝ冷たくなつて来た。私は外套の襟を立てゝ歩きだした。樹立のなかにゐて、木の肌のなんと目立たぬ色をしてゐることか。幹は悉く小枝と葉のひろがりに席を譲つたのである。自然が常に煙つてゐるやうに見えるのはそのためであらう。
自動車は裏町へさしかゝつた。土地の起伏につれて、波形につゞく白壁の美しさ。曲りくねつた凸凹道も、こゝでは、往き悩むわれらが自動車のはしたなさを思はせるばかりである。
こゝは女学校と聞いても、それは昔の大官の住居にも似て、門は厳かに閉つてゐる。居酒屋風の燻けた店の前に、長い煙管を銜へた男が二人立つてゐる。千年前からそこにさうしてゐたかのやうである。
賑かな大通りへ出た。道傍で物を売る商人は支那の名物であらう。古物商を一二軒のぞいてみた。掘出し物などしようといふ肚はないが、安い土産でもあればと思つてである。これはと思ふものがまるで見当らぬ。蒙古鐙の貧弱なのが手にはひつた。
下手ものなら天橋《テンチヤウ》に限ると聞いてゐたので、O氏に案内を頼む。城門に近い、云はゞ場末の古物市場である。
このガラクタの堆積はまづ見ものである。毛皮から勝手道具まではいゝが、その先は、空壜の数々、気をつければ古新聞の束でさへおいてないとは保証できぬ。大通りを挟んで蜿蜒数丁に亙るこの光景は、巴里蚤の市の比ではない。私は疲れた。一軒で絨毯をひろげて見たら、次ぎ次ぎの店から、「いゝのがある。はひつてみろ」と呼びかけられるのには閉口した。
名刺を作りたいといふと、O氏は勧工場の様に色々な店の並んだ建物のなかへ連れ
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