いつでも飛行機へ乗せてもらへるなら、さうしてもいゝんですが、この機会を逃すとどうなるかわからないから……」
「なあに、大丈夫ですよ」
「また出直して来ることにしませう」
 そんなことこそ出来るかどうかわからない。しかし、私の言葉に嘘はなかつた。実際、戦争の一番見ごたへのある部分を見ずに帰るのはなんとしても心残りである。
 堀内氏は、こんな序でもなければと云つて、内地にゐる奥さんへの手紙を私に託すべく書きはじめた。
 その時、部屋の入口をのぞき込むやうにして、一人の支那人がはひつて来た。
 片腕を三角巾でつるし、傷が痛むのか、泣きだしさうに顔をゆがめてゐる。
 堀内氏は、その訴へるやうな言葉を聴いてゐたが、やがて、私の方に向ひ、
「この男はわしの部下ですが、負傷して此処の野戦病院にはひつてゐるんです。ところがたつた一人の支那人で、言葉も通じないし、心細いから北京へ返してくれと云ふんです」
「北京に実家でもあるんですか?」
「あることはあるんですが、北京へ帰すにしても、やはり軍の病院へ入れてやりますよ」
 その支那人がまた喋り出した。堀内氏は、今度は諭すやうに長々とそれに応へた。支那人はすごすご引きさがつた。
「病院なんかへはひるより、自分で薬を買つてなほすと云ひ出すんです。銃砲の傷にはとてもよく利く薬を北京で売つてゐるからつて承知しないんですよ」
 傍らから坂本氏が口を挟んだ。
「奴さんたちは一度負傷なんかすると、から意気地がなくなるんでね。もう駄目ですよ、あれぢや」
 私は、横になつた。
「あなたも日本へなにかお言伝はありませんか?」
 坂本氏はそれに答へて、
「わたしは、もう支那人みたいなもんですから……。名前も支那風に劉栄正と云つてるくらゐです。郷里の方とはほとんど縁を切つたやうな形でしてね」
「ぢや、家族の方は北京にでもをられるんですか?」
「えゝ、わたしの姉が○○○の家内になつてましてね、ご承知でせう、○○省の主席をしてゐた、いま行衛不明ですが、むろん、日本軍と戦つてゐるでせう。それも止むを得ずです。わたしも、今度の事変がなかつたら、その○○○の妹を貰ふことになつてゐたんですが、さうすれや、これで○○省秘書ぐらゐの地位につけたんです。さういふわけで、姉がいま北京にゐるもんですから……」
「○○○といふのはたしか日本の士官学校を出た人ですね」
「それがですよ、
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