ますと、坂本氏は先にたつて私を街に連れ出した。いくつかの横町を曲り、珍しく二階建ての映画館のやうな建物の狭い階段を登りきると、むつ[#「むつ」に傍点]と鼻をつく臭ひは、内地の銭湯のそれとあまり変らない。
 さう思つて部屋の中を覗くと、共同風呂には、丸裸の日本男児が殺到してゐるのである。
 坂本氏は見張りをしてゐる男に何やら交渉してゐる様子であつたが、やがて、われわれは貸切りの一室をあてがはれた。
 そこは休憩室と浴場とに分れてゐて、二人分の設備がしてある。休憩室には寝台が二つ並べてあり、暇と相手があれば一日ぢゆうごろごろしてゐられる仕組になつてゐる。給仕が茶を運んで来る。
 浴場の方は、殆ど西洋風呂と同じ形をした浴槽が二つあつて、別に風変りなところもないが、いよ/\三助君が「流し」を取りに来る段になると、私はまつたく面喰つた。
 先づ浴槽の縁へ細長い板を渡し、それへタオルを敷いて、私を仰向けに寝かせるのである。文字通り俎上の魚である。三助君は典型的支那人の相貌を備へた、六尺豊かの大男だが、これが日本のやうに裸ではなく、たゞ両袖をまくりあげたのみで、どこをどうしようといふのか。彼は無造作に、その掌で私の胸もとをきゆつきゆつと撫ではじめた。なるほど、瞬時にして垢がよれるので、私はをかしくなつた。胸から腹、股から臑へとこすりおろして行く。片脚を高く持ちあげて、尻のあたりに及ぶと、皮がひりひり痛む。しかし、到るところ、面白いくらゐくるくるとはがれおちるものが感じられる。ますます笑ひたくなるのを、こゝで笑つたら三助君がなんと思ふか、恐らく支那人にその意味は通じないであらうと気がつき、坂本氏をふり返つて、
「なかなか出ますよ」
 と報告してごまかした。
 表がすむと、今度は裏返しにされた。
 脇の下から足の裏まで容赦なくやる。人間はくすぐつたいものだといふことを、彼等は知らぬと見える。恐らく、支那人の残虐さとはこんなところにあるのかも知れぬ。
 しかし、この徹底的な「流し」のおかげで私は一生の垢を洗ひ落したやうな気分になり、日支三助比較論の意義を考へながら、一つ時、休憩室の寝台の上に寝そべつた。

     「文弱」について

 堀内氏の部屋で寝る用意をしながら、明日私は天津へ引つ返すといふ話をもちだすと、氏は幾分残念さうに、
「もう少し前へ出てごらんなさい」
 と云つた。

前へ 次へ
全74ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング