、驚いたことには、支那服の袖に黄ろい腕章をつけた一人の小柄なお婆さんが、つかつかと私のそばへ来て、日本語で、
「さあ、どうぞ……。これが局長さんです」
と、奥の卓子の向ふでいま起ち上つた詰襟黒服の、なるほどお役人らしい一人を紹介してくれた。
私は、そのにこやかな、如何にも遠来の客を迎へるといふやうな調子の挨拶をぼんやり聴いてゐた。
お婆さんは、通訳して曰く、
「よくいらしつて下さいました。ご用はなんでせうか――こぎやん[#「こぎやん」に傍点]云ひよるです[#「よるです」に傍点]たい」
そこで、私は、これに応へる代りに「はゝあ、これが有名なお婆さんだな」と思ひ、つくづくその姿、かたちを見直した。事変後保定にたゞ一人踏み止つてゐた日本婦人として、当時新聞が大々的に報道したのはこのお婆さんなのである。
「では、局長さんにかう云つて下さい。――私は保定の町が現在どんな風になつてゐるかを見に来ました。日本の国民は、何れも戦の過ぎ去つた後の町や村に、早く平和が訪れることを望んでゐますから……」
お婆さんの通訳ぶりはどうであらうか? 恐らく、言葉通りの意味を伝へてもらふわけには行くまい。しかし、局長さんは、熱心に耳を傾け、いちいち大きくうなづいてみせ、さて、私の方に向ひ、
「謝々《シエーシエー》」
と言つたやうに思つた。
そこへ、表から、忙がしさうにはひつて来た一日本人があつた。年は三十をいくつか過ぎてゐるであらうと思はれるがつしりした青年である。
お婆さんは私に耳うちをした。
「あれが、井河先生ですたい」
私の会はねばならぬ人である。
役目はこの警察局の主事といふ、つまり顧問格なのであらうが、実際の権能は寧ろ今のところ局長の上にありと私には察しられた。
かういふ都市の治安維持、進んでは行政、経済その他一般の平和工作が、現下の情勢では、まだ軍事的機関の一翼に連つて進められることは勿論であるから、あまり立ち入つたことは書けぬと思ふ。が、単なる好奇心からでなく、国民は、前線躍進の有様と同時に、後方の落ちつきを「手に取るやうに」知り得る術はないかと念じてゐるのである。
私は、この保定を一例として、可能な範囲に於ける見聞を綴つてみよう。
井河氏の好意で、その夜は、警察局官舎といふか、同氏の私室といふか、とにかく局構内の奥まつた一室を特に私のために明けてもらつた。
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