にしても女は飽くまでぢつとしてゐて、男がお使ひをする仕組が、デパートだけに面白い。やはり、支那の習慣としてはそれが当り前なので、女をこき使ふのは日本だけの美風だと一時は思つたが、これは独断を避けるためにもうひとつの見方をせねばならぬ。即ち陳列品から一つ時も眼をはなせない土地柄だといふことだ。

     空の一騎打

 荷物を半分ホテルの帳場へ預けて、朝早く飛行場へ駈けつける。
 白状すると、私は、飛行機といふものに乗るのはこれがはじめてゞある。
 それほど急ぐ旅をする必要もなかつたし、また、なんとなく億劫でもあつたから、つい食はず嫌ひみたいなことになつてゐたのだが、いざこれからあの機械で空中何百尺の高さを飛ぶのだぞと自分をおどかしてみても、一向危きに近づくやうな気はしない。それどころか、いよいよこれから鉄砲の弾丸の下をくぐるのだと思ふと、乗り物がなんであらうと問題にならぬといふのがほんとの気持であつたらう。
 空中飛行の感想などは時節外れだからやめにするが、天津の街を真下に眺めた時は、夢うつゝで自分の在りかを捜すやうな錯覚に陥つた。
 が、それでも、高度八百といふ指針に眼を据ゑ、プロペラの力強いうなりに耳を澄してゐるうちに、この壮快無比な空の旅を楽しむ余裕ができて来た。
 腰にさげた図嚢から北支の地図を取り出し、水筒の蓋についてゐる磁石を投じて、方向を見定め、度々話題に上る津浦線一帯の大浸水がこゝまで及んでゐるのかと疑ふひまもなく、それはまさしく、畑も部落もたゞところどころ水面に形を現してゐるだけの、見渡す限り、水また水の連続であることがわかつた。
 それでも、どうかすると、一部落の周囲に堅固な散兵壕を築いた跡などが見え、思はずからだを乗り出すこともあつた。白洋淀といふ湖を越えると、次第に、山の姿がはつきりして来る。畑の区劃が竪縞の織物を並べたやうに美しい。灰色の城壁に囲まれた保定の街が、小さく地平線に浮ぶ。窓の一方へ急に地面の模様が映る。飛行機が旋廻をはじめたのである。着陸。一旦外へ出る。
「S部隊長は何処にゐますか?」
「前線に出られた」
 参謀の答へである。
「今日は帰りませんか」
「わからん」
 急いで、また飛行機のなかへはひる。保定に近いもう一つの飛行場まで運んで貰ふためである。
 S部隊長は、同期生で○○機の部隊長である。前線と云へば石家荘あたりか? 
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