治家自ら深く肝に銘じておいて欲しいものである。
 その翌日、私は、司令部に出向いて、従軍記者の腕章を貰ひ、M少佐から昨日の返事を聞いた。残念だが観戦武官とその案内者で飛行機の座席が満員であるから、同行の儀はむつかしいとのことで、止むを得ずそれは諦めた。が、そこで、私は早速保定に行きたいと云ふ希望を述べると、それなら、連絡機に乗せてやつてもいゝとの有りがたい取計ひに、私はほつとした。実を云ふと、天津から保定まで今のところ普通で行くと三日かゝるのである。それが一時間で着くのだから、こんな時間の経済はない。
 その場になつて間誤つかないやうに、私は、夕刻自動車を駆つて臨時飛行場を検分に出かけた。飛行機は、翌朝八時に出発といふことであつた。
 まづ安心と、それから、街へ引返し、日本租界のなんとか公司といふデパートへはひつてみた。ガマ口が破れかけて来たのと、襟巻を何処かへ置き忘れて来たので、代りを新調せねばならぬ。各売場をひと渡り廻つて歩いた。素晴らしい支那美人の売子の前に髭面の兵隊さんが集つてゐる。小間物の売場で煙草はないかととぼけてみたりする。女売子は、その典型的な柳眉を心もち寄せて、つんと澄ました。しまひに、誰がなんと云つても返事をせず、たゞ面倒臭さうに首を横に振るばかりである。流石の兵隊さんも根負けをしたらしく、「行かう、行かう」と云つて立ち去つた。
 私は、ふと、自分の捜してゐるガマ口がそこに並んでゐるのに気がついた。硝子箱の中の気に入つたのを出してみせろと指でさすと、件の女売子は、頗る横柄な手つきで、それを私の前へ抛り出した。
「いくら?」
「……」
 口の中でなにやら答へたらしいが、よく聞えない。
「え?」
「……」
「わからない」
「一円五十銭」
 と、彼女は、鈴虫のやうな声できつぱり日本語を操つた。
 金を出さうとすると、彼女は、そこにおいてある呼鈴をヂヤンヂヤン鳴らしだした。何時までも止めない。なんの合図かと思つてゐるうちに、向ふから給仕風の男の店員がやつて来て、私の出した金を受け取つて行つた。さて、彼女はおつりと一緒に品物を私の方へ押しやつたと思ふと、あとはもう、素知らぬ顔で、横を向いてしまつた。凄艶と云ふ言葉が実によく当てはまるやうな顔かたちである。が、サーヴイスは日本なら落第組であらう。但し故らさうしてゐるのだとすれば、また何をか云はんやである。それ
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