持で胸がいつぱいであつた。
次に、北京で一番不思議に感じたことは、この一見平和な都が、幾度も動乱の中心になつたといふことである。
いくぶん事変色を呈してゐるのは、北京飯店といふホテルの内部だけで、街へ出てみると、住民は何事もないやうな平静な顔をして、ゆつたりとアカシヤの並木の下を歩いてゐる。
市場は賑ひ、劇場は満員である。
戦敗国の悲しみも焦慮も、往き合ふ人々の表情からは読むことができない。
北京人は、それほど「戦争」に馴れ、勝敗に超然とし、自己の生活と国家の運命とを切り離して考へ得るのであらうか?
この疑問に、「然り」と答へるものもあり、「否、君は表面だけしか見てゐない」と答へるものもあつた。
ともかくも、北京は、美しい都である。古都といふ名の、これほどよく似合ふ都は、世界に二つとはあるまい。
そして、それを誰よりも誇りにしてゐるのは北京人なのである。彼等は、北京を愛し、豊かな伝統を守り、この伝統の力強い生命を信じてゐるかのやうである。それゆえ、彼等は、外敵を恐れない。武力の優越は百年の覇を称へるであらうが、文化の根は、千年の実を結ぶと空嘯くのである。三年や十年敗け続
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