けることは、決して敗けたことにはならぬといふ考へ方が北京人に限らず、支那式の考へ方であるらしい。
この自尊心は、ちよつと日本人には歯が立たぬと思はれる。従つて、現に敗け戦さを続けながら、支那人の一人一人は、少くとも、支那人としての自覚をもつた人間は、自分らを戦敗国民だなどとは夢にも思つてゐないかも知れぬ。逃げても勝つたと吹聴するのは、必ずしも、逆宣伝だとばかりは云へないやうな気がするくらゐである。してみると、今度の事変の終末も、彼等は「降参した」といふ言葉は使はずに、子供たちの遊戯のやうにこんな風に合図をするであらう――「もうようしたツと」。
ところで、日本人はどうかといふと、それでは承知すまい。なんでもかんでも、「降参」と云はせるであらう。頭を三度地べたにすりつけろと注文するであらう。
この種の強制は、今日の日本人の癖であり、流儀である。相手がちやんとそれをするまで、「勝つた、勝つた」と、その眼の前で絶叫し、乱舞し、どうかすると、相手の頸筋を押へ、肩を小突き、とうたう、足がらをかけてぶつ倒すのである。
正義日本の名に於て、弱者を辱かしめざらんことを!
中華国民の自尊心は、文
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