、第一にどういふ人物が出来上るか、その成績次第できまるわけであるが、少くとも単なる就職といふやうな問題を離れ、演劇映画界が現在真に求めつつある人物の資格に対して、十分適応性のあることを信ずるものである。
 こゝでひと言つけ加へておきたいことは、今日、映画の方面は企業として以外に存在しないのであるから、その組織のなかで、それぞれの技術の法則といふものに遵はなければならぬのであるが、演劇の方面では、殆ど、単独に開拓し得る無限の領域が残されてゐるのである。
 私一個の理想からいへば、この学校の卒業生は、演劇映画界の一従業員となるばかりが目的ではないので、よろしく夢を抱いてそれぞれの郷里に帰り、地方の同志を糾合して、新しい演劇運動を起してもらひたいのである。或は、小学校児童の劇教育に協力することもよからう。農村の娯楽としての健全な素人劇をリードするのも面白い。郷土の古劇を復活させ、またはその研究によつて学界に寄与することも意義のある仕事である。
 かう考へて来ると、明大演劇映画科の創設は、学校過剰といはれる現在、必ずしも高等遊民を世の中に送り出すことにはならぬと思ふ。日本の現代文化とその水準に
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