の批評が出てゐる。どうしてこの連中はかう意地悪るなんだらう。全く親しめない人達だ、金子君や村山君や佐佐木君は、私の知つてゐる人のうちでも、個人的にも親しみのもてる人々なのに、やつぱり、同じやうに、こんな考へ方をしてゐるのであらうか。こんな考へ方をしなければいけないと思つてゐるのだらうか。
私は、文筆を以て社会戦の陣頭に立つことを少しも誤つたことだとは考へてゐないが、かういふ態度で「味方となり得るもの」を遠ざける必要がどこにあるのだらう。
人には、いろいろな欲求がある。いろいろな計画がある。いろいろなテンペラメントがある。文筆を以て立つもの、芸術を以て志しとするもの、必ずしもその文筆を、その芸術的活動を、直ちに所謂「目的意識」の具に供しなければならないわけはない。
革命家を以て任ずる諸君は、宜しく、微々たる文士芸術家の群をのみ対手とせず、まして、諸君と同様「賤民《プロレタリヤ》」(二葉亭の訳による)の集りに過ぎぬわれ/\の小劇団を兎や角非難する暇に、それほど「演劇」に関心をもつなら、もつと、名実共にブルジョワ的なる大劇場をぶツつぶし給へ。
新劇協会の客足を止めることが、決して前衛
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング