を知つた。
 いろ/\な事情で、稽古は四五度しか出来なかつた。それでも登場俳優があの通り二人きりで、しかも、その二人が、相当、舞台的経験のある人達だから、黙つてゐてもある程度までその役柄を仕活かしてくれるので私は楽なことは楽だつた。実際は監督らしい仕事もしてゐないくらゐである。それといふのが、私の書くやうな戯曲は、舞台監督がどんなに骨を折つても、それほど演出上の効果に変りがないのみか、舞台監督の下手な工夫は、却つて俳優の演技を萎靡せしめるやうな結果になることを知つてゐたから、私は、大体、伊沢、水谷両嬢の「仕易いやうに」といふ消極的態度を取つた。これは、何も、舞台監督としての責任を回避するわけではなく、むしろ、さういふ演出法もあり得るといふ一例を示したつもりである。果して多くの見物は、蘭奢、八重子両嬢の演技に喝采を送つた。
 ところで、私が、作者兼舞台監督として、今度はじめて味はつた気持についていへば、作者としての自分は、舞台監督としての自分に少なからず不満を感じてゐるのである。それと同時に、舞台監督としての自分は、作者としての自分に可笑しいほどの気の毒さを感じ、しかも、それは、どうしや
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