る標題を捜しながら、知らず識らず、標題それ自身の「効果」を専ら気にするのが常であるから、やはり、そこには、一つの技術が存すると見て差支あるまい。従つて、「標題のつけ方」に上手下手といふ問題が起り、更に標題が作品を活かし、その価値をある程度まで左右し得ると考へられるのである。
標題などは、いはば、どうでもいいもので、作品の番号みたいなものであるといふ意見もたしかに一つの意見で、さういふ態度から何気ない風でつけられてゐる標題に、たまたま実に感じの好い「効果的な」ものがあることを思へば、結局、これも消極的な厳密さが標題選択の上に加へられたといふべきであつて、要するに、作者の感覚が「標題」といふ意識の異つた面に働きかけた結果なのである。
これに反して、むつかしい標題、凝つた標題、奇抜な標題、などといふものになると、作者のポーズが眼に浮かぶだけ、なるほど、一と通りの効果はうなづけるにせよ、こいつを批評するとなると、相当文句がいひたくなる。技術が表面に表はれるといふことは、それが余程の「巧さ」にしても、先づ、素人だましといはれるのが落ちであらう。そこでほんたうに「好い」標題といふものは、工夫が
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