あつてしかも工夫の跡が見えず、独立した意味をもちながら、なほ且つその裏に十分な拡がりを感じさせ、言葉の配列と所謂語呂の上に特殊の魅力を発揮し、といふやうな条件が備はつてゐなければなるまい。
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いろいろな作品を通じて、その標題を吟味するのも面白いが、どうも、古今の傑作といふやうなものになると、その作品の価値が総てを引上げてしまふのか、なんでもないやうな標題までが、もう、一種犯すべからざる威厳、格式をもつてしまつて、どうすることもできないのである。イプセンの「人形の家」とか「海の夫人」などは、時代が割に近いせいか、少しく鼻につく類であるが、シェイクスピアになると「ヴェニスの商人」「ウィンザアの陽気な女房達」など、なかなか、今日でも気のきいた題だ。フロオベェルの「ボヴァリイ夫人」はその時代に新しい標題であつたらうと思はれる。この「ボヴァリイ」といふ姓の選び方が既に写実の黎明を告げるものである。ゲェテの「ファウスト」は、やはり、巨大な文学的狼火に応はしい響きをもち、トルストイの「戦争と平和」は、功利文学のトツプを切る題名と称すべきだ。ダヌンチオは「死の勝利」とか「廃都」
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