ド・ベルジユラツク」「遥なる王女」「暁の歌」などといふ題を選ぶゆゑんだ。
 そこで問題は、作品の「調子」に関係して来るのだが、好んで大声で語る作品、何らかの気負ひを示す作品の標題には、一種煽動的な大がかりな響が含まれることは自然であらう。そこから、ある場合には、いはゆる「大衆的」「通俗的」標題が生れ、ある場合には近ごろのやうな「宣伝文学的」標題の型が作り出されるのである。
          ★
 標題の選択は一つに作家の「好み」によることは勿論であるが、また、時代の文学的傾向が、その時代の変つた「標題技巧」を生むといふやうなことがある。その極端な例は、日本の歌舞伎劇の長つたらしい標題「浦里時次郎明烏花濡衣」の如き類だ。
 作品の主要人物の名をそのまま標題とすることは東西ともに行はれてゐることで、それがたまたま男女一対の名を組み合せたものは、それだけで恋愛物語を想像させるのだからこの標題技巧は相当考へたものだが、それについて面白いのは、日本では、女の名が先で男の名を後にくつつけ、西洋ではそのあべこべだといふことである。別に深い意味があるのではなく、単に語呂の関係に違ひないけれど、いま、
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