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「一つ留保をしておかう。それもはつきりさうだといへないが、僕は、標題が少し、いひ表はす範囲が狭いと思ふ。用心しすぎてゐると思ふ。いぢけてゐると思ふ。僕はもつと、それが、旗印のやうに広く、堂々としてゐる方がいいと思ふ。これからの模倣者に途を遮ることにもなり、君が決定的に実現したものを、再び繰り返さうといふ無法な慾望を頓挫させることにもなる。が、それは、僕が間違つてるかもわからない。約束は小さく、実行は大きい方がいいかもわからない。その方が目覚ましい驚嘆を喚び起すかもわからない」
[#ここで字下げ終わり]
この脚本の標題が明かでないのは残念だが、エロアはルナアル自身のことに相違なく、ウィレムとはエドモン・ロスタンであらうから、この二人の「標題のつけ方」を比較してみると、成る程と合点が行くのである。
★
ルナアルのやうな芸術家は、作品の「一破片」をそのまま標題とすることに満足し、ロスタンのやうな作家は、標題に作品の豪華な全貌を打ち込まうと努力するのである。前者が「にんじん」とか「フイリツプ一家の家風」とか「日々の麺麹」とかいふ標題をつけ、後者が例の「シラノ・
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