私の知る限り、どこの方言でもないのである。どうかすると外国人ではないかと思ふほど、無味乾燥な日本語で、しかも、本人は少しもそんなことは気にとめてゐない。標準語を話してゐるつもりなのであらう。ああ、悲しむべき標準語よと、私は、つくづく思ふことがある。この勢ひで進めば、われわれの周囲で、美しい日本語を聞くことはできなくなるとさへ断言し得る。
 さうかと思ふと、また議会の壇上で、放送局のマイクロフォンを前にして、政治家、学者、官吏などが、やはり方言的抑揚をもつて、天下国家を、学問技芸を論じ、聴くものを危く失笑せしめることがある。子供などはほんとに笑ひころげるのである。さうかと思ふと、これは面白い例であるが、ある映画の説明者が東京で修業をして、郷里の常設館に職を得、嘗て使ひ慣れたその地方の方言を以て、思ひのまま熱弁を揮はうとしたところ、観客は一斉に笑ひこけ、馬鹿野郎の声さへそのうちに混つたといふ話を聞いた。この消息も私にはわからぬことはない。
 結論を急げば、方言の魅力は、その地方に結びつく生活伝統、乃至個人の私的感情に裏づけられた談話的表現に於いてのみ、その本来の面目を発揮し、事、公に亘る場
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