文功章
岸田國士
−−
【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)ボ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リイ夫人
−−
こんなことを問題にする必要もないが、二三の新聞雑誌から意見を求められ、一々それに答へる手数を省いたから、ここで一言感想を述べておく。
勲章といふものは、子供か野蛮人でなければよろこばないものと思つてゐたら、なかなかさうでもなささうである。
亜米利加の実業家も、仏蘭西の文学者も、勲章が大層好きである。その証拠に、毎年、仏蘭西あたりでは、叙勲の運動が行はれる。ロスタンはルナアルのために運動し、ルナアルは自分が貰ふと、今度は、ベルナアルのために運動した。服の襟に赤いリボンをつけてゐることは、幾分、細君の手前もあるのだが、世間に出て肩身が広いといふ訳である。巴里では近所の眼があるから、避暑に行つた先で、そつと赤リボンをくつつけた古着屋の話を、ベルナアルが書いてゐるくらゐである。
さて、日本では、役人と軍人――それに少数の金持と貴族と政治家と教師などが勲章を貰ふ。勲章を持つてゐても、仏蘭西ほど幅が利かぬとみえて、平服に略綬をつけてゐる紳士はあんまり見かけない。殊に、かういふものは、欲しくつても、欲しいやうな顔をしたがらない日本人のことであるから、政府もうるさくなくていいだらう。
藍綬褒章とか、緑綬褒章とかいふものは、勲章の部類にはひらないと聞いてゐるが、文功章とやらはどつちの部類か。同じ勲章でも、金鵄勲章は軍人に限り、戦時に殊勲を樹てたものに賜はるといふので、一番有難味があり、その上、年金までつくのだから、軍人でこれを欲しがらないものはない。
金鵄勲章は武功章であるから、それに対する文功章は、芸術家にして、業績赫々たる者に賜はるといふことにすれば、世は競つて傑作逸品を出すことになり、一国の文運頓に熾んとなるわけで、これに越したことはないが、文功は、かの武功の如く、「誰のため」に樹てるといふ性質のものではないから、標準の定め方に困るだらう。まして、暗夜、道に迷ひ、方角を誤つて敵陣に飛び込み、敵の方であはてて逃げてくれたので、一堡塁をなんなく占領してゐたなんていふ殊勲は、芸術家には絶対に樹てられさうもない。
そ
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング