こで、先づ無難な詮衡方法は、長くその道に携つて、世評も相当に高く、貫禄も一と通りついてゐる老大家を物色することであるが、だがその場合、世評や貫禄は必ずしも芸術的業績の大小と、比例しないことを覚悟しなければならぬ。
 文功章をやるといつても、いらぬといふものが出て来るだらう。邪魔にならぬものなら貰つておいてもよささうなものだが、そこは文人気質の潔癖から、そんなものを貰つては一代の名折れのやうに考へ、又は、よろこんで貰つたやうに思はれるのがいやさに、怒らなくてもいいところを怒るものがあるだらう。さういふ場合、当局がどうするか、一寸面白い見物である。
 尤も、仏蘭西のやうに、芸術家として一家を成したものには、悉く「レジヨン・ドヌウル」をやることにし、だんだん勲等を上げて行くやうにすれば、「勲章を持つてゐるもの」より、「持つてゐないもの」に世人の注意が向けられ、「誰が貰つた」といふことより、「誰がまだ貰はない」といふことの方に興味が集まることになるから、「貰ひたい」と思はないでも、「貰はないでゐたくない」と思ふやうになるのが自然かもしれない。
 かういふ心理は、なんと云はうとも人間持前のものである。それを利用するしないは国家の勝手であるが、仏蘭西の勲章で思ひ出した一つの話は、嘗てアントワアヌが自分の管理するオデオン座の経済的窮境を救ふため、時の首相クレマンソオに宛て、無心状を書いた。それは、政府の補助金を増してくれといふかはりに、「レジヨン・ドヌウル」をある男にやつてくれといふのである。クレマンソオはアントワアヌを信ずること篤く、その男とは誰だとも訊かず、よしツと云つて承知した。云ふまでもなく、アントワアヌはその勲章を種に、ある男から莫大な金を引き出したのである。オデオン座は生き返つた。世間は何も知らない。日本でもこれくらゐの芸当は演じられてゐるのかもしれないが、事、芝居に関する限りでは甚だ疑はしい。
 今日まで社会には社会的地位といふものがあつて、その地位を明かにしてやるため、国家が勲章の制度を利用してゐる、といふ風に今日の仏蘭西などでは見えないこともない。ところが先年小説家ヴイクトオル・マルグリツトが、「ギヤルソンヌ」といふ小説を発表したら、その小説が仏国の体面に関するものであるといふ理由で、賞勲局は、マルグリツトのコンマンドウウル(勲三等)を取上げた。「ギヤルソンヌ」
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