ないんぢやないかと思ひますね。ひとの前に出て、行儀がいゝか、悪いかといふやうなことの判断と同じ様に、文学の作品を判断したら、大変な間違ひだと思ひますね。
こいつ癪に障るといふやうな、さういふ判断が一番危険だと思ふのですよ。横着だとか、生意気だとか、さういふ感情が、文学の統制の上にはどうも起り易いのぢやないかと思ふのですね。それが今までのやり方だと思ひます。まア、街を歩いてゐる女の着物がけばけばし過ぎるなどゝいふ風に、なんだか眼に角を立てゝゐるやうな指導者がゐるのと同じだと思ふのです。民衆の健全な常識がさういふものを嗤つてゐるのだから、ちつとも心配はないと思ふのだが、やつぱり政治は、国民を信じなければできませんね。
目下のこの、文壇の動きといふか、いろいろな動きが見える。概して、健全なやうに僕には見えるんだけれど、お互の間の批判といふやうなものが、今多少ありますか?
なぜそれを訊くかといふと、あることが僕には心配なんです。お互の間の批判といふものは、これは文学者は潔癖だから一つの傾向としてありますがね、さういふことが余り起ることは、たゞ単に摩擦を云々――といふやうなことを恐れるわけ
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