といふものを、僕は考へなくちやいかんと思ふのです。此の文学は、仮りに、まア今無くてもいゝやうなものだといふものでも、やつぱりあつていいんだらうな。これはどうも良くないといふものが仮りにあつても、さういふものが民衆の心理の上に与へる影響が、非常に徐々としてゐて、速度が鈍くて、さうしてそれが浅くて、しかもその量が僅かであるといふやうなものが、沢山あるのですよ。さういふものは、なにも問題にする必要はないのですよ。それからまた、非常に深く入り得るものだが、しかし速度が非常に鈍い、或る一国でそれが百年も継続しなければ、国民の精神の上に一つの影を落すやうなことがあり得ない、といふやうな性質のものがある。かういふものも神経質に取締つたり、排除したりする必要はないと思ふ。けれども、速度も早く、入る量も多く、それから深いところまで入つてゆき易いやうな性質の文学は、若しその文学が、現在の時局にとつて悪影響を及ぼすものだとすれば、これがやつぱり一番問題になるものぢやないか。しかし、さういふものは概して、いゝ文学には少いんぢやないかと僕は思ふのです。
さういふ鑑定を正確にやらないと、文芸政策といふものはでき
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