、それは非常に歪んだものですからね。
 それから、文化が一国のなかで、特殊なある領域を占めてゐるなんといふことはをかしいことです。
 さういふ印象を与へることは、やはり今までの政治の罪ですね。さつき云つた、政治がもつと、誰かの言葉だつたけれど、もう少し文学をもつてをれば、さういふ印象を与へないで済むな。
 文学も直接、その国策の線に沿ふやうな形を示さなくとも、つまり文学全体のなかに国民の栄養になるものがあればいゝぢやないかと思ふのです。ところが、さういふ云ひ方をすると、これはやつぱり数年前はやつた文化の擁護といふやうな形になるのですよ。僕は、文化の擁護といふ形を知識人がとるといふことは賢明でないと思ふのです。それはつまり、現在日本の国民生活の上で一つの文化的な所産として見られてゐるやうなものが、そのまゝ擁護せらるべきものである――といふことが前提になつてゐるわけで、さういふものでは駄目なんだ。やつぱり、今までのいろいろな文化現象といふものにたいして、つまりこれからはこれぢやいかんのだ、もつとこれから新しいものを創り出すのだといふ事実を、みんなが認めた上でなければ、どうもこの際本当に共同
前へ 次へ
全20ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング