、現場のさういふ悲喜劇を勝手に創り出すといふことはなかなか面白いことで、これはラジオの一つの効果として利用してもいゝことだと思つたですね。
……さつき国民文学といふ話が出たですけれど、今、人が云ふ言葉をそのまま、まア使つて便利だから云ふんだけれど、今の健康な娯楽とか、健康な読み物とか、いろいろ健康といふことを方々で云ふけれど、健康非常に結構ですけれど、文学の中の健康といふことも、これもなんだか今まで漠然とし過ぎてゐますね。
普段なら漠然としてゐて結構ですけれど、かういふ時はハツキリさせないと不便ですね。不健康でもなんでもないものが不健康だといふやうな認定をうけることだつて困るし、それから妙なものが健康面することも困ります。
いろいろな人がゐていゝですよ。非常に立派な作家で、文学のためには自分は今沈黙するのが一番いゝんだといふ人がゐるかも知れないと僕は思ふのです。これは僕は、あつていゝ、その作家の良心は信じなければいけないと思ふのです。さういふ人がゐるか、ゐないか、おそらくゐると思ひますがね。それは尊敬すべき国民だと思ひます。さういふ作家は、或は自分の家族のものなり、隣の子供なり、
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