ないんぢやないかと思ひますね。ひとの前に出て、行儀がいゝか、悪いかといふやうなことの判断と同じ様に、文学の作品を判断したら、大変な間違ひだと思ひますね。
 こいつ癪に障るといふやうな、さういふ判断が一番危険だと思ふのですよ。横着だとか、生意気だとか、さういふ感情が、文学の統制の上にはどうも起り易いのぢやないかと思ふのですね。それが今までのやり方だと思ひます。まア、街を歩いてゐる女の着物がけばけばし過ぎるなどゝいふ風に、なんだか眼に角を立てゝゐるやうな指導者がゐるのと同じだと思ふのです。民衆の健全な常識がさういふものを嗤つてゐるのだから、ちつとも心配はないと思ふのだが、やつぱり政治は、国民を信じなければできませんね。
 目下のこの、文壇の動きといふか、いろいろな動きが見える。概して、健全なやうに僕には見えるんだけれど、お互の間の批判といふやうなものが、今多少ありますか?
 なぜそれを訊くかといふと、あることが僕には心配なんです。お互の間の批判といふものは、これは文学者は潔癖だから一つの傾向としてありますがね、さういふことが余り起ることは、たゞ単に摩擦を云々――といふやうなことを恐れるわけぢやないが、本当はもつと考へなければわからない問題ばかりぢやないかと思ふのですね。こゝで何か、自分の体の坐り方を急に決めてしまふといふやうなことは、余り必要のないことではないかと思ひますね。
 僕はこんどいろいろな人に会ふ機会が出来て、今まで識つてゐる人も、識らない人も、こゝで何か一つ新しい話題で話し合ふ機会がずゐぶんあつたのですけれど、非常に頼もしいと思ふのですよ。それで僕は非常に勇気が出てゐるんです。実際いふと、今までの政治的指導者が、知識層といふものを実に識らなかつたといふことを、つくづくと感じるのですね。われわれが更めて頼もしいと感じるのは、今まで頼もしくないと思つてゐたのをさう感じるんではなくて、かうまで頼もしいかといふ感じ方ですけれどね。
 国民文学といふ概念についてですか? 無論僕自身も考へますけれど、僕の考へを先に発表して、それを検討して貰ふといふやうな形でなく、寧ろ現在の日本文学の推進力になつてゐるやうな人たちにですね、その問題について、ひとつ研究して貰ふ機関を創りたいと思つてゐるのです。
 その場合にですな、やつぱり文学だけを離さないで、文学と芸術のいろんな部門を一
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