緒にして、話し合つたらどうかと思ひますね。これがまたこれからの日本の文学といふものゝために大事なんぢやないかと思ふのです。そこでまアみんな、いはゆるほかの部門との間に、共通な表現を発見するだらうと思ふのですね。国民音楽とかなんとかいふことも今云はれてゐますし、国民演劇なんといふ問題も盛んに方々で論議されてゐるやうですけれど、かういふ機会に文学、芸術などを一丸として、国民的なものとはどういふものか? といふことを研究する。しかもそれは押し出してゆくといふより、寧ろみんながモヤモヤと頭の中でもつてゐるものを並べて見たら、その中からきつと共通な理念が発見できるんぢやないかといふ期待をもつてゐるわけです。
こんど文化部で、さういふ意味で面白い仕事ができるだらうと思ふことは、いま文化部門と普通云はれてゐる部門ですね、それが全部文化部の中に入つて、その中で、専門会議といふやうなものを幾つも創るわけです。僕だけの考へですけれど、科学のはうですね、これは技術を含むでせう。それから文学、芸術、宗教、教育、ジヤーナリズム、出版といふやうな専門会議がある。それから特殊問題の研究委員会を拵へる。それは国語問題とか、婦人問題とか、児童文化の問題とか、生活文化の問題ですね。それから対外文化宣伝の問題とか、さういふ特殊問題の会議ですね。さういふものが、結局、各文化部門の人たちの共同作業になるわけです。きつとそれだけで一つの面白い結果が徐々に生れて来るだらうと思ふのですね。
本当に各部門の推進力になる――さういふ一つの力が、それぞれの面で一番先頭に立つやうな機構にしなければ駄目です。
これはね、今までのそれぞれの部門を代表できる地位にゐる人が、そのいゝ理解のもとに賛成するんぢやないかね。さういふ気運がありますね。
ある部門では、どうにも仕方がないから成るやうになれといふやうな、さういふ消極的な部面もあるかも知れませんけれど、ある処ではやつぱりその必要を自覚して、そのはうがいゝんだといふ考へでですな、さうしてその中堅分子を先頭に押し出してくれるやうな、非常に理想的な部面もあるんですね。まア文壇なんかも比較的それに近いでせう。
教育の問題なんかに就ても、種々改めなければならぬ点がある。実際、不満な点を数へ挙げると無数で、それだけでもこゝ何年間癇癪を起し続けなんですけれど、まアやつぱり新体制に
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