それは、作家の才能によつて、さういふものを創り出す人が無論あつてもいゝし、これも結構だと思ふのですけれど、この側衛的任務といふことは、政治家も忘れてはいけないし、文学者自身も、さういふ文学の本質的な一つの役割をやつぱり自覚したはうがいゝんぢやないかと思ふのです。なぜ側衛的な任務といふことが必要かといふと、結局、この非常時といふやうな時代には、特に国民心理のうちに、非常に隙間ができる。これがやはり敵に乗じられる因《もと》になるんです。国民として信用をなくしたり、品位を墜したり、場合によつては国民の能率を下げたり、さういふ危険性をもつた心理的傾向が生れ易い。さういふものを防衛するのは何かといふと、僕は、やつぱり人間的反省といふものゝ上に立つ、自己訓練の行為だと思ふのですよ。これは文学にのみ、或は少くとも文学に最も期待しなければならぬ、他のいろいろなものに較べて文学が最もよくこの役割を果し得るんだといふことですね、これは僕は、もつと主張していゝんぢやないかと思ふのです。
文学の統制は無論どしどしやつていゝ。但しそれと一緒にだいたい、この、文学が民衆の精神に影響を与へる速さ、それから量、深さといふものを、僕は考へなくちやいかんと思ふのです。此の文学は、仮りに、まア今無くてもいゝやうなものだといふものでも、やつぱりあつていいんだらうな。これはどうも良くないといふものが仮りにあつても、さういふものが民衆の心理の上に与へる影響が、非常に徐々としてゐて、速度が鈍くて、さうしてそれが浅くて、しかもその量が僅かであるといふやうなものが、沢山あるのですよ。さういふものは、なにも問題にする必要はないのですよ。それからまた、非常に深く入り得るものだが、しかし速度が非常に鈍い、或る一国でそれが百年も継続しなければ、国民の精神の上に一つの影を落すやうなことがあり得ない、といふやうな性質のものがある。かういふものも神経質に取締つたり、排除したりする必要はないと思ふ。けれども、速度も早く、入る量も多く、それから深いところまで入つてゆき易いやうな性質の文学は、若しその文学が、現在の時局にとつて悪影響を及ぼすものだとすれば、これがやつぱり一番問題になるものぢやないか。しかし、さういふものは概して、いゝ文学には少いんぢやないかと僕は思ふのです。
さういふ鑑定を正確にやらないと、文芸政策といふものはでき
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