、それは非常に歪んだものですからね。
それから、文化が一国のなかで、特殊なある領域を占めてゐるなんといふことはをかしいことです。
さういふ印象を与へることは、やはり今までの政治の罪ですね。さつき云つた、政治がもつと、誰かの言葉だつたけれど、もう少し文学をもつてをれば、さういふ印象を与へないで済むな。
文学も直接、その国策の線に沿ふやうな形を示さなくとも、つまり文学全体のなかに国民の栄養になるものがあればいゝぢやないかと思ふのです。ところが、さういふ云ひ方をすると、これはやつぱり数年前はやつた文化の擁護といふやうな形になるのですよ。僕は、文化の擁護といふ形を知識人がとるといふことは賢明でないと思ふのです。それはつまり、現在日本の国民生活の上で一つの文化的な所産として見られてゐるやうなものが、そのまゝ擁護せらるべきものである――といふことが前提になつてゐるわけで、さういふものでは駄目なんだ。やつぱり、今までのいろいろな文化現象といふものにたいして、つまりこれからはこれぢやいかんのだ、もつとこれから新しいものを創り出すのだといふ事実を、みんなが認めた上でなければ、どうもこの際本当に共同の目標といふものは掴むことができない、と、さう思ひますね。
若し今擁護すべき文化がありとすれば、それは日本の歴史が創り出したものですから、それはこれからの歴史がそれ以上のものを創り得る筈だし、少くともそれ以上のものを創れるといふ確信があつていゝと思ひますね。消えて無くなるものでないから……。
たゞ一つ必要なことは、なんですね、われわれがこれが文学だといつてゐるやうな文学がね、今仮りにその現在の政治の文化性のないことのために、幾分何かしら圧迫を感じてゐる事実があるとすれば、これは、擁護といふ形でなくて、本当に教へなければならんと思ふのです。文学といふものはかういふものだといふことを、これを分るやうに、いはゆる文学に無関心な人たちに教へる、要するに、一つの表現を、文学者がぜひ見つけ出さなければならぬときだ……。これをやはり努めなければ、恐らく、文学をまた再び本当に輝かす時に、非常に骨が折れるのですね。
それで僕がちよつと感じたことは、文学の側衛的任務といふことです。これは軍隊の言葉ですが、文学で前衛といふことは今まで云はれてゐた。今、国防国家として前衛的な文学が頻りと要求されてゐる。
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング