或は兄弟なりに、国民としての立派な心得を諭してゐるかも知れませんからね。
 文芸政策ですか。さうですね。文学は一番安心してゐますよ、文学は……。僕は、信頼してゐるのです。いろいろな国民の職能といふやうなものを考へてみて、やつぱり文学者や、芸術家、科学者といふものは、最も尊敬すべき国民だから……これは我田引水かね?
 但し、これはね、僕はいつでも思ふのですよ。文学者が、国民全体が俺みたいになつたらいゝなアと思つてものを書いてゐるだらうか、或はさういふ生活をしてゐるだらうか、といふことをいつも考へてゐるのです。どうも、僕はやつぱり、それよりも自分の才能を信じて、ある時は自分が天才であることを望みながら、自分は一般の人間たちの例外であるといふ感じで生きてをり、ものを書いてゐる人が多いんぢやないかと思ふ。僕は、文学者の今までの型としては、後のはうが多いんぢやないかと思ふのです。僕はそれを、実はさういふ人も実際ゐてくれなくちや困る、しかしそれだけが文学者ぢやないんだ、といふ気持でゐるんですよ。つまり、みんな自分のやうであつてくれゝばいゝなアといふことは、それは自尊が云はせるのでなくて、寧ろ非常に平凡な一市民、或は一国民といふものを一つの人間の理想として考へてですね。
 つまり、みんながなり得る限度といふものがありますからね。そのみんながなり得る限度といふもので甘んじたいのですよ。
 日本一の亭主とか、日本一の男とかなんとかいひますが――さういふ概念は大いに再検討しなければならんのです。これは僕の友だちから聴いた話ですけれど、もう実に何処が悪いといふことは絶対に云へないほどすべてのことがキチンとしてゐて、隙がなくつてね、さうして純情である、さういふ男がゐてですね、その細君が家出をしたのですよ。ところが、なぜ家出をしたんだらうかといふことを訊いてみても、細君が誰にも云へないのです。しかし、その男を識つてゐる人たちは、成る程と頷けるんださうです。
 どこがいつたいそれぢや細君の気に入らないのか? 例へば、女学校を出る娘さんに、どういふ人と結婚したいかといふ箇条書を書かせる。何と何と――それを悉く具へてゐるやうな亭主なんです。それでゐて、成る程あれでは一緒に苦労しては敵ふまいといふやうな亭主なんです。その話を聴いて、実にをかしいやうな悲しいやうな変な気持になりましたがね。なるほど、さ
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