要で且つ厄介なものだといふ事実を知り得たのであります。私はまづ素人くさく、かういふ疑問を提出したいと思ふのであります。国語とは一体どういふものか、どうしてこれを日本語と言はないのか、この国語と日本語といふ二つの言葉の間には著しい語感の違ひがある、この距りは何によつて埋められてゐるのか? 小学校時代にはそれ程気がつきませんが、中等学校へ進んで外国語を習ひはじめると、われわれは、その外国語を通して新らしい一つの世界を発見します。それはある外国の特殊な人情風俗を知るといふやうななまやさしいことではありません。綴られた言葉のひとつひとつが、活きて躍つてゐるのです。もちろん、いちいちの言葉の生命をはつきり掴むのには暇がかゝります。しかし、なんでもない平易なリーダーの文章からでも人間の不思議な呼吸と表情とを感じます。言葉が如何に楽しく語られ、如何に自信をもつて語られてゐるかといふことを見抜くのであります。
それぞれの言葉が発せられる「源」といふ様なもの、つまり、人間の魂の律動がそこに感じられるのです。文学を味ふ感覚の第一歩がやつと若い胸の中に芽生えるのはこの時期であり、しかもそれは殆ど例外なく外
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