だしい、或る場合には喋る時と書く時と反対な矛盾した二つの表現になることすらあります。是は少し厳密に自分の物の考へ方と書方を注意して較べて見るとわかります。その空隙を埋めようとすることが、物を書く練習になることは事実であります。書く時と喋る時とでは思想や感情のポーズがそれ/″\思はざる自己欺瞞に陥るのです。国語教育といふものが若し完全な日本語教育であるならばこの点をもつと考へないといけないのではないかと思ひます。
こゝで標準語の問題が起つて来ます。現代文では、教科書として標準語を使ふことが当然であるが、是は実に困つたもので、これくらゐ文学的でない言葉はほかにありません。東京語を基準にして標準語がつくられたものだと言はれてをりますが、東京語には東京語の調子といふものがあります。これは元来符牒に過ぎない言葉を活かしてゐるものです。標準語は言はば性格も気質もない言葉です。人間ならばデクの坊です、面白い文章、熱のある文体が生れる訳がありません。
そこで標準語でもこんな文章が書けるといふ例をいくつか挙げることが出来るとすれば、教科書の中にさういふ文章があるとすれば、それは標準語で書くために書かれた文章ではありません。標準語を自分のものにして、その思想感情を意の赴くまゝに愬へたものに相違ないのです。それが偶々標準語に合してゐるといふならば、標準語で書かれてゐても立派な文章になるといふだけであります。併しそれは唯単に標準語であると言つて片付けることの出来ない文章であります。さういふ文章ではじめて、言葉それ/″\の語感が活かされることになるのであります。
序でに方言と訛りについて一言附け加へます。私は戯曲を書く場合の注意として、或る地方出身の若い作家にこんな注意をしたことがあります。「君はまだ標準語をマスターして居ない、従つて登場人物に標準語を使はせようとするのは無理だ。君だけの才能があれば相当な戯曲が書けると思ふが、書く場合、人物の各々に君自身に親しみある言葉、君の出身地の言葉を使はして見給へ、尠くとも、標準語を使ひながらついお国訛りを出すやうな人物、標準語を使ふつもりで居りながら、うつかり自分の国の方言がとび出すといふ人物を意識的に書いて見給へ、会話はずつと生彩を放つし、全体の現実感が高まつて来るに相違ない。」彼は私の言ふ通りにしました。すると当時、少し大げさに言ふと、文壇
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