観念の向上、これが重要な仕事ではないかと思ふのであります。民衆は無意識に既にこれを求めてゐる。言葉と云ふものはどう云ふものであるか、また言葉は元来、自分たちのもので、全国民の間で共通に使はれるものでなければならぬと云ふことを民衆は本能としてこれを承知してゐると思ふのであります。そこに目醒めることの最も遅いのは現代の日本の指導階級ぢやないかと私はひそかに思つてをります。これが先づ文学者として私が現代の日本語について考へてゐることであります。
 最後にこの国語と云ふものの改良の方針、その技術と云ふことについて、素人考で考へますと、先づ日本語をどんな国語にしようと云ふのかと云ふことが第一の疑問になるのであります。そこで次に起つて来る問題は、日本語のどういふところが主な欠点か。第三はその欠点を除くと同時に長所が失はれはしないかと云ふ事、これがまた問題であります。先づこの三つの疑問でありますが、これは疑問に過ぎませぬけれども、この疑問は、たまたま私が最近読みました書物によつて更に深められました。その書物といふのは、あるドイツ人の書いたフランス国語史でありまして、そのなかの十七世紀から十八世紀にか
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