ら受け継いだ一つの形式主義に繋るものだと思ひます。これも例を挙げると沢山ありますけれども、例へば今日の時局が国民にさう教へるある種の忌むべき言葉があるとします。その忌むべき言葉の範囲が非常に漠然としてゐる。漠然としてゐるから、国民は戦々恟々としてゐる。例へば「俺は自由主義者だ」とでも云へば大変だと考へてゐる。戯談にでもそんなことは云へないやうに思つてゐる。元来、そんなことぐらゐ云つても何んでもないので、唯それを如何に言つたかと云ふことが重大なのであります。かういふ誤つた判断は言葉の機能の限界と言ふものに対する認識の不足から来るものだと思ひます。そこからまた、スローガンと思想との混合、取違ひ、さう云ふものが生れて来ますが、また其処から、標語と云ふものの価値が過重に評価され、従つてその濫造と云ふ弊が生れて来ます。
更に図書の検閲、言論の取締と云ふものの標準について、これは検閲を受ける者、検閲する者、両方にそれぞれ一つの困難な課題が生じて来ると思ひます。これは我々が一般にもう少し考へてもいいのぢやないかと思ひます。
第三に、活きた言葉と死んだ言葉と云ふものがまだ無選択に使はれてゐる。或る
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