状態の中に見出して、いつたいこれでいゝのかと思ふことが度々あります。その弱点について私の気のついたことを一つ二つ挙げてみますと、先づ一般に現代の日本人は言葉をほんたうに自分のものにしてゐないと云ふことを言ひたいのであります。「言ひたいこと」と「言つてゐること」との間のギヤツプが常に感じられる。即ち紋切型、月並な辞礼と云ふものが非常に多過ると云ふことになるのだと思ひます。それは実際に於て感情が言葉から游離してゐると云ふことであります。場合によつてはそれ/″\の人の思想が言葉に依つて裏切られてゐると云ふことになると思ふのであります。例へば現実の問題を非常に神秘的な表現で、有難く思はせやうとすると云ふやうな傾向が生れて来る所以も其処にあると思ふ。これは現代語と云ふものの基準が今日までまだはつきり立てられてゐないこと、つまり各自の職業身分等によつて使用する言葉の領域が非常に限定されてしまつてゐる。社会の各部門の共通の言葉と云ふものが完全に出来あがつてゐない。さう云ふことが一つの原因であります。またもう一つの原因はこの言葉遣ひがその儘その人の身分階級を示すと云ふやうな因襲に一方で縛られてゐること
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