れが即ち今日の所謂知識階級に相当する社会層であつたと云へます。モリエールなどは自分の戯曲を見せる相手としてはつきり頭の中にこの階級を意識してゐたのでありますが、とにもかくにも、この階級には、ひとつの矜りがあつたといふことが、何よりの便宜でありました。感情の上でも理性の上でも選ばれた人達、別の言葉で言ふと優れた教養を持つ人達と云ふ風に自他共に許してゐたのであります。さう云ふ人達を相手として言葉の純化を試みたのであります。しかもマレルブに従へば、言葉そのものは、「波止場の人夫にも解る」といふことを標準にしたところが、注目に値します。それともう一つは、一般に言葉の進化は社会の発展より何時でも少しづゝ遅れてゐると云ふことをフランスの言語史は、語つて居ります。ところで、このフランス語の純化運動は、マレルブから徐々に企てられて、十七世紀には既に、正しく而かも美しいフランス語の創始者が幾人か生れてゐる。今日古典作家と云はれるラシイヌ、モリエール、パスカルはその雄たるものであります。フランスはこれらの作家の手に依つて所謂純粋なフランス語と云ふものを生み出しましたが、その特色は単純で、優雅で、明晰である
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