すと、やがて次の時代に立派に解決されてゐるところがなかなか面白いところだと思ふ。国民一般の言葉の純化整理がどうしてそれほど楽に出来たかと云ふと、丁度フランスの十七世紀と云ふのは、国民的な自覚の最も高潮に達した時代であつたと云ふことが第一の理由であります。別の言葉で申しますと、文芸復興以後勃然として起つた個人主義の思想が次第に衰微した時代であります。十六世紀は自我の発見と解放の時代で、日常生活に於ても、社会現象に於いても、個人主義的な主張の充満した時代でありまして、言語風俗から申しましても、各人が勝手気儘な言廻しを平気でしてをつた時代ださうであります。自然この時代はフランス国内でも言葉の恐るべき混乱が生れてをつたのであります。その時代の言葉の混乱無秩序を個人主義の思想に結びつけてゐるのがこの議論の面白いところだと思ひます。十七世紀になりますと、この個人主義の思想といふものが一時衰へました。国家意識の浸潤と社会生活の変革がその原因とされてをります。そこから、隣人と共通なものを求める一つの考へ方、理性の尊重がこの十七世紀の一つの時代色になつてをります。かう云ふ時代の風潮が言葉の統制純化と云ふことを非常に容易にしたのだと云ふ議論は強ち牽強附会ではないと私は思ふのであります。この時代に、御承知のやうに例のアカデミーが創立せられました。さうして、このアカデミーがマレルブの仕事を受継いでフランス語の標準化といふ事業を完成しました。辞書の編纂、文法の確立であります。そのアカデミーの最初の討論がまた非常に興味があるのでありますが……先づ最初討論の議題となつたことは、フランス語の隣国の言葉に対する優越を確保する方法如何といふことでありました。これは当時フランスは領土的にも所謂国威を発揚した時代でありまして、フランス語が隣国に侵入する機会も多く、また隣国人が自から進んでフランス語を習得するといふことをどうしても考へなければならぬ時代であつた。しかしながら、単に武力を背景としてフランス語を習はせるとか、或は利害の問題からこれを学ぶといふだけでは心細い。なんとかして、フランス語自体の優越性によつて隣国人を惹きつけねばならぬ。フランス語の美しさに対する一種の憧れをもつてこれを学ばうとするやうに仕向ける必要がある。当時のフランスの学者達はかう考へたのです。非常な達見だと思ひます。その中の一人で、ヒューレと云ふ人は、「既に我が国語は他の総ての言葉に比して十分完成してゐるのであるから、こゝで一種の注意をエロキユーシヨンの上に払つたならば、恐らくラテン語がギリシヤ語を継いだ如く、我がフランス語はラテン語に継いで世界標準語となり得るだらう」と云ふことを述べてをります。しかし恐らく、これは当時既に国力に自信をもつてゐたフランス人の誇張された宣言だと思ひますけれども、それはやがて或る部分実現される結果になるのであります。そのアカデミーで編纂した辞典は、フランス語の標準になる言葉、現在日本で使つてゐる標準語と云ふのとは少し意味が違ふかも知れませぬが、標準になる言葉を選択し、正確に意味づけ、限定された用例を挙げてをります。この標準になる言葉とは教養のある人達の間で使はれる言葉と云ふ意味なのであります。このアカデミーの辞典に対して普通の辞典が市場に普及してゐる。この普通の辞典は一般民衆が自然に使つてゐる言葉を網羅するといふところが違つてゐるのです。或はそれ/″\の専門語を集めた辞書もその外にある。さう云ふ辞書に対してアカデミーでは標準になる言葉と云ふものを規定してゐるのであります。その編纂には非常に苦心を払ひましたけれども、やつと十七世紀の終りになつて初版を出し、さうして今日迄八回それが改修されてをります。一九三一年から三四年にかけて現在のアカデミーの会員の手に依つて第八版が出てゐる。それで今日までフランスに於いて標準になる言葉はアカデミーの辞典に依るといふことが先づ常識になつてをります。何かお互の言葉遣ひについて疑問が起ると、結局アカデミーの辞典に解決を求めるといふことが現にフランス人の間で行はれてをります。アカデミーの辞典にさうあるなら、さうして置かうといふ程度にはなつてをります。やはりこのアカデミーの編纂員の一人だつたと思ひますが、ヴォオジユラといふ人は、フランス語についてかういふことを言つてをります。「言葉の主人《あるじ》といふものは唯一人だ。即ちそれは慣例だ」慣例= usage =一般に用ひ慣れた言葉を標準にする以外に言葉を純化する有効な手段はない。従つて誰かが作り出し、誰かが決めた言葉を一般に使はせようとすることは絶対に無理なことだ。さういふはつきりした標準を持つてゐたやうであります。それともう一つは、アカデミーのこの規格は完全に宮廷の中で守られてゐた。従つてア
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