と云ふ三つの点に帰します。なるほど、フランス語のこの優越性はたしかに世界の認めるところとなりましたが、しかしその純化されたことが今のやうに単純で優雅で明晰な言葉となつたゞけ、その反面に於いて、フランス語の致命的な弱点を生みはしなかつたかといふ意外な疑問を投げかけてゐるのが、十八世紀のある学者であります。それは十八世紀になつて、隣のドイツの知識がフランスにはいつて来た。さうしてドイツ語との比較が試みられた結果、フランス語はなるほど非常に単純化され、また優雅で明晰ではある。しかし、どちらかといふと固定した状態、或は継続する状態を写すのに適した言葉になり過ぎて、動く状態を写し伝へるのには、どうもあまり適しない言葉になつたといふのです。これは隣のドイツの言葉が非常にダイナミツクである。動きに富んでゐる。それに比してフランス語は一種の力に欠けてゐると公平なところをみせたのであります。それに対して、フランス語の一途な擁護者は、「なるほどドイツ語のダイナミツクなところは認める。その原因は何かといふと同義語が多いことである。同義語の数をフランス語は極度に制限した。またドイツ語は非常に動詞の数が多い。色々の動作をそれ/″\の言葉で現はすやうになつてゐる。これは言葉の整理をしなければさういふ状態になるのは当然である。そのためにドイツ語は人間の心の動き、精神の活動、人間の内的の生活を写すのには、若干の強味はあるけれども、しかしフランス語ほど社会的な性格を持つてゐない。フランス語は個人の内的生活を写す為には或は余りに静止的であるかも知れぬが、しかし社会の各々の部分を繋ぎ合はすといふ役目はフランス語の特性が最も良くこれを果し得るのである。かういふ意味でフランス語は、結局一つの国際語になる特質を備へるに至つた。これは決してフランス語の為に悲しむべきことでない」といふ議論であります。ある国語がその整理のされ方、発展の仕方によつてそれ/″\違つた性格を持つやうになることの適切な証拠であります。
 そこでわれわれの日本語の現在の状態を考へ、この言葉をどう云ふ風に改良すべきかといふ問題になりますと、私自身としては、ちよつと迷ふのであります。将来の日本語はどういふ風にするのが一番我々の望む所であるか、といふことをこゝで根本的に考へてみなければなりますまい。さういふ点でその道の専門家の御意見を私は伺ひたい
前へ 次へ
全13ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング