と思ひます。
フランスでも十八世紀になりますと、王室と教会の権威が衰へて、自然、言葉を統制し、保護する一つの中心がなくなりました。その上、例の戦乱が続き、民衆は窮乏し、科学の発展に伴つて色々の新しい言葉が生れて来る。外国との交渉が盛んになる。そんなことで、フランス語は一時また文字通り混乱しました。事実上混乱しましたけれども、十七世紀にはつきり植ゑつけられた、或はその以前から民衆の中に芽生へてゐた言葉に対する関心、言葉に対する一つの正しい観念が、この十八世紀の言葉の混乱時代を通じて、尚ほかつ自国語を純粋にと無意識ながら守りつゞけた努力が見られます。彼等フランス人は、自国語の誇りを傷けないだけの素地を作つてゐたのです。事実さう云ふことを直接声明し、或は仕事の上で見せた人達が十八世紀に沢山生れてをります。従つて、フランス語が前世紀に於いて一時非常に単純化されたのが、十八世紀に至つて、偶々非常に混乱はしましたけれども、その結果は、更に、国語を豊富にすることに役立つたといふ面白い現象がみられます。例の百科辞典の編纂は、かういふ時代が要求したひとつの国民的運動であるといふことにもなる。この時代はまだフランス革命の前ですが、「フランスは既に一つの革命を完了した。それは民衆の教養を高め得たといふことだ」と、デイドロは宣言してゐる。民衆の教養を高めたといふことは、フランス国民の中に正しい国語といふものを造り上げたといふ意味で言つてゐるのであります。これも誠に面白い。ルソオは一方でまた、かう云ふ意見を述べてゐる。「国語は所謂卑俗な言葉を避けることに依つて一層卑猥となる」。「卑俗と卑猥」と云ふ訳語が正確であるかどうかちよつと疑問ですが、兎に角下層で使はれてゐる言葉を極端に嫌ひ却けることは、必ずしも言葉の純化にならない。さう云ふことに依つて却つて言葉が卑猥になる。卑猥といふことは一種の臭み、「いやらしさ」と云ふ意味に私は解釈する。これは十七世紀に行はれた言葉の整理から、宮廷人士の間に言葉に対する一種宮廷風の好み、云ひかへると上品ぶつた云ひ廻しと云ふものが出来まして、マレルブの最初の意図からは遠い、民衆の言葉或は言廻しと違つた表現が巾を利かすやうになつた。全体ではありませぬが、極端なのはプレシオジテと云ふ流行がこれであります。婉曲に洒落れて言はうとする「いやらしさ」、その当時、モリエールが
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