だ。その意味で築地小劇場が、一つのプリンシプルを土台として、華々しく旗挙げをした壮図に先づ敬意を表する。そして、僕は、そのプリンシプルをプリンシプルとして攻撃することを止め、着々進みつゝあるだらう処の計画の実現、一歩一歩理想に近づきつゝあるだらう処の努力の結果を見て、言ふべきことを言ふつもりである。
扨て、築地小劇場の第二回公演はどうか。前にも述べた通り、ロマン・ロオランの戯曲を此の劇場が選んだ理由は、略《ほゞ》想像がつくのである(女優のいらない脚本として選んだといふことは、主要な理由にならない。また、したくない)。処が、その自然らしく思はれる選択方法のうちに、奇怪なる矛盾を含んでゐることを感じるものはないか。それはロマン・ロオランの戯曲が甚だ「文学」の域を脱しないものであることである。演劇から文学を排除する運動、云ひ方がわるければ、演劇をして文学より独立せしめる運動、更に言葉を換へて云へば、演劇をして最もそして純粋に、演劇たらしめる運動と目すべき築地小劇場が、戯曲と云ひ得るものゝうちで最も「文学臭味」の多い、最も「非戯曲的」な戯曲の一つを選んで上演したと言ふことである。
巧みな騎
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