文化職域について
岸田國士

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[#7字下げ]一[#「一」は中見出し]

 大政翼賛運動の発足に先立つて、国民組織といふ問題が政治的に取りあげられ、更に、近衛内閣の出現と同時に、職域奉公といふ言葉が世上にひろまつた。
 そもそも国民組織とは何を指すのか、大政翼賛会の最近までの機構には組織局なる一部門が設けられ、地域的組織と並んで、職域の組織が企図され、その一部は実現をみたのであるが、この場合に於てすら、確乎たる組織理論といふものはなく、特に、職域組織に関しては、職域の綜合的調査の上に樹てられた計画はなかつたやうである。
 近衛声明が、いはゆる、政治、経済、文化の三領域を明らかに区別し、それぞれの改革を新体制の名で呼んだことはまだわれわれの記憶に残つてゐる。そこで、おのづから「文化」といふ領域が、政治、経済と並んだ国家機構の一要素であると同時に、国民職域の一分野であるといふ観念が作られ、一応それで通用はするが、実際はそれがために、却つて不都合な事情も生ずるといふやうな結果になつたのである。なぜなら、どんな「文化」機構も、政治や経済からまつたく独立して存在するといふやうなものはなく、一例を挙げれば、「演劇映画」の如きは製作機構そのものが、一つの完全な経済組織と云つて差支ないのである。更にまた、「教育」といふ部門をとつてみても、これは、国家の教育政策に基き、その運営は殆ど行政事務につながつてゐるばかりでなく、学校経営といふ財政的な一面を外にして、教育事業を考へることは出来ないのである。
 逆に、政治や経済も亦、「文化」領域と無縁なものでない。政治の立場からみれば、既に「文化政策」といふ言葉もあり、すべての経済機構のなかに、「技術」といふやうな純然たる文化職能が含まれ、かつ、人的資源を擁する以上、厚生に関する諸種の施設を必要とするが如き、これである。

[#7字下げ]二[#「二」は中見出し]

 今日の時代に於ては、もはや、如何なる職業も、国家目的を無視して存在し得ず、如何なる職域も、他の職域のいづれもから孤立することは許されない。
 従つて、職業そのものゝ性格も非常に変つて来た。そればかりでなく、在来の職業といふ観念には、どうかすると当てはまらない職業の数々が新しく生れる傾向すらあるのである。
 ある会合で話にも出たのだが、今日でもなほ、「月給取り」(サラリーマン)といふ言葉があり、これは、恰も、一つの職業を指すかの如き印象を与へる言葉となつてゐるが、こんな不思議なことはないといふのである。勤め人と云へばそれでもいくぶん穏かのやうであるが、これすら、凡そ、職業の精神を閑却した無意味極まる名称である。
 いつたいに、職業を選ぶ標準なるものが、従来、極めて曖昧であつて、なかには、公然と口にできないほどの「さもしさ」が、公然と許されてゐる場合さへあつた。
 さうでなくても、職業そのものゝ実体を究めずして、職に就くものが多く、まして、自分の前途にどんな道が拓かれてゐるかを、一応、ひろく見渡すといふことすらされてゐなかつた。さうかと云つて、昔のやうに、父親の職を継ぐといふことを当然と考へる時代は過ぎてゐた。従つて、職業に対する興味と熱意と、殊に、責任感が至つて薄く、自己の職業の国家的乃至社会的使命について、確乎たる信念をもつものは、誠に寥々たる有様である。

[#7字下げ]三[#「三」は中見出し]

 如何なる職業でも、それが、何等かの意味で人間生活に関りがある以上、必然的に文化的意義をもつものであることは云ふまでもない。それと同時に如何なる職業でも、それに従事する者の文化的感覚が、職業そのものの機能使命を完全に果し得る重要な要素であることも亦疑ひない。
 しかしながら前にも述べたやうに、狭義の文化的職能乃至は職域といふものが考へられる。これを極く大ざつぱに拾ひ上げて見ると、学問、芸術を専門とするものをはじめとして、これを直接利用し、または対象とする業務、即ち言論、教育、宗教、医療・厚生、公務・法務、出版・報道、特殊技術、娯楽、等である。
 従来文化関係の職域といへば、大体以上のやうな範囲が頭に浮ぶわけであるが、今日では特に、以上のやうな部門をそれぞれ専門的な立場で独立したものと考へることは出来なくなつて来た。勿論、専門領域としての確固たる特殊性はこれを認めなければならないけれど、それと同時に是等の全領域に共通する性格といふものが正しく把握され、是等の領域を対象とする綜合的な文化問題、文化事業、文化運動といふものが、時代の要求
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