選が行はれたら、民衆の大部分は失望し、或は、創造の何物であるかを見失ひ、悪くすると因襲的趣味に囚はれて「日本文化」を逆転させる恐れがないとは云へないのである。大袈裟な物云ひをするわけではない。国家が伝統を重んじ、輿論の定まつたものに価値を与へる賢明な途を撰ぶのは当然であらう。たゞ、懼れるところは、日本国民を甘やかす側の仕事に重点がおかれはせぬかといふことである。
これが仮に、フランスの文学者が胸につけてゐるレジヨン・ド・ヌウルの赤いリボンの如きものなら、誰が持つてゐるといふことはもう問題でなく、誰がまだ貰はないといふことだけ、世間は注意するのであるから、当人よりも細君が一生懸命になり、友人知己を介して文部大臣にまだかまだかと責めたてる始末である。ところが、そんな運動をしないでゐると、つい当局は忘れてゐることがあるらしい。しかも、作家生活十年以上に及んで、相当文名があがる頃になると、もう勲章をもつてゐないことが一向目立たなくなるのだからよくできたものである。つまり、当然もつてゐることだとみんなが思ひ込んでしまふ。
そのうちに、たまたま、新聞に誰それは今度|勲三等《コンマンドウウル》に
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