若仮に、過去の文化的遺産乃至旧時代の社会的、道徳的規範制度風習に従つた文学芸術の意に取るべきだとすると、一方で「進歩」といふ言葉が極めて消極的となり、或は全く矛盾することになるが、これはどうかといふことである。
甚だ愚問だとは思ふが、事、文学芸術に関する限り、現代日本の国家権力が、或は、日本的なものと鎖国的封建的なものとを混同し、西洋的なもの、影響、又は、その思想技法材料の採択による新文化運動を、一概に非民族的なものとして軽視し、若くは無視する意図があるのではないか、これをはつきり知つておきたいと思ふ。
例へば、長唄や浄瑠璃は「日本精神」による音楽であり、歌舞伎劇は「新劇」より文化的に高級であり、裸体を描いた日本人の油絵より西洋人が富士山を描いた墨絵の方が一層日本のためになるといふやうな偏見がありはしないだらうか?
こんなことをどうして今云はなければならないかといふと、政治家やお役人のうちには往々にしてそれに近い考へをもつてゐるか、或は、さういふ風を装つてゐるものが、かなりあることをわれ/\は気づいてゐるから、万一、今度のやうな勲章が、少数の人々に授けられる場合、さういふ標準で人
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