は、非常に複雑且つ微妙だからである。往々官憲の忌諱に触れたやうな作品が却て、民衆の貴い心の糧となり、且つ、国民全体の矜りとなるものであることが後世一般に認められるといふやうな例がいくらもあるのである。
 また、何処の国でも、民衆は「御用学者」とか「御用作家」とかいふ失礼な名称で、ある種の「国家的名士」を呼んでゐることも考へねばならぬ。
 科学文学芸術の領域では、官吏や実業家と違ひ、直接、国家へのサーヴイスの程度で、その仕事の「文化的価値」を判断するのは間違ひだといふことは、古今東西の歴史を通じて明かな点であるが、その間違ひが絶えず何処でも繰返されてゐるところをみると、日本だけは、なまじつか半可通を振りまはさない政治家によつて事が運ばれることに、十分期待がかけられないこともない。

 そこで、まだなんら具体的な発表をみないうちに、われわれとして、これ以上希望に類することを陳べる余地はないが、たゞもうひとつ、是非、この機会に当局の方針を質したいと思ふのは、林首相の「謹話」中、日本古来の精神歴史を特に尊重するやうな意味が含まれてゐるが、それは単に、広い意味の民族的伝統と解するなら差支ないが、
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