せん。
 今日まで、どちらかといへば、学問芸術は国民の一部の間にしか縁のないものであるかのやうにみられてゐましたが、これは各専門家の狭い考へからでもあり、また社会の組織や施設がその普及徹底に十分な用意を欠いてゐたためでもありますが、第一には国民全体がこれをそれほど大事なものとして要求しなかつたところに大きな原因があつたといへるのであります。
 そこで、われわれはお互の生活をもつと豊かに秩序だつたものにするため、ものゝ考へ方を根本的に改める必要があります。すなはち、自分の道を自分のために、或は自分の家族だけのために切りひらいて行くのではなく、めいめいが人間として智慧を磨き、徳を修めるのは、すべてこれ国民として、この日本を強く、正しく、美しい国にするためだといふ信念に生きることであります。世の中のどんな仕事を択ぶにしても、自分の才能力量に応じた人間の磨き方を専心こゝろがけなければなりません。他民族と事をかまへるにしても、またこれと手をつなぐにしても、日本人の一人一人が、人間として心から尊敬されるやうにならなければ、国家の運命を分ち担ふ資格はないのであります。この「人間を磨く」といふことは、必ずしも学問を積むといふことでもなければ、芸術に身を委ねるといふことでもありません。ただ、おのづから学問の道に通じる頭の素直な使ひ方と、やがて芸術の感動にまで伸びる豊かな心情の育て方とにあるのです。
 近衛首相の声明にある「臣道実践」とは、国民おのおのがその職域を通じて奉公の誠をいたすことに違ひありませんが、なほ、その言葉の深い意味は、日本臣民の一人一人が、国体の尊厳と歴史の精華とを、その思想と行動のうちにはつきり現すことだと、われわれは確信するものであります。いひかへればこれこそ真の日本人として、世界のどの眼からも、親しみ敬はれるやうな「ゆかしさ」と「凜々しさ」とを身につけることであります。

       四

 さて、大政翼賛会文化部は、以上のやうな大目標に向つて、全国民協力の運動を起したいと思ひます。
 そのために、いはゆる「文化部門」と称せられる専門領域の総動員を行ひます。科学技術、文学芸術、教育、宗教、新聞雑誌、ラヂオ、出版、医療衛生、体育娯楽等の広い範囲にわたつて、それぞれの強力な組織を作り、更にこれを綜合統一して、共同の国家目的に結びつけ、国民生活の指導推進の役割を果さ
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