もなほ広汎と云へば広汎でありますが、「文化」と「思想」とは切離すことができないものであり、また、「厚生」とは国民生活を豊かに健全ならしむる方策でありますから、これまた、「文化」といふ角度からこれを取扱はなければ、綜合的な効果は挙げられないのであります。一例を人口問題にとつてみても、これは健民運動として官民一体の運動が進められてゐますが、その事務は、翼賛会では厚生部の所管でありますけれども、運動の実体は、文化部関係の職域を動員することが最も肝腎なのでありまして、かういふ風に、「文化部」の仕事を見て行くべきだと思ひます。
それから、出版文化協会、音楽文化協会、少国民文化協会、宣伝文化協会などといふ団体が新たに結成されました。
出版に関する統合団体を出版文化協会と、故ら「文化」の名称を冠したところに、専ら時代的な意味があると思ふのですが、それは申すまでもなく、これまでの出版界は、好むと好まざるとに拘らず、多かれ少かれ、自由主義経済の波に乗つて営利主義、投機主義、宣伝第一主義といふやうなものに支配され、少数の良書が多数の悪書によつて駆逐されまじき勢ひにあつたのであります。ところが、国家の欲するところは決してさうではなく、出版事業は、国民に最も健全かつ潤沢な精神的栄養を提供し、各種専門領域の最も価値ある著作物の円滑な刊行を主旨としなければならぬのであつて、これ即ち、一国の「文化」を向上発展せしむべき重要な機能を分担する業務なのだといふ自覚が、この名称となつて現れたのであります。最近この団体は国家の統制が強化され、純然たる統制会として日本出版会といふ名称に変りました。
「音楽文化」といふ名称も亦同様な意味を含み、音楽は単に芸術として個人的に制作され、一部のものに鑑賞されることによつて一種社会的孤立の状態に陥つてはならぬ。ひろく「文化」の立場から、音楽家自身の心構へを改めて、真に日本人の心を心とした音楽、深く時代の要求にこたへた力強い音楽の創造を目指し、かゝる音楽を国民全体のものとするやうな運動の展開を音楽家自身の使命と考へることがこの団体の精神であります。
「少国民文化協会」については、その結成の由来を少し述べてみたいと思ひます。
もともと、児童を対象とする読物、絵本、玩具、紙芝居、演劇映画といふやうなものについて、専門的な研究をしてゐる人、または、それらの製作に当つてゐる人の間に、おのおの、専門家を一丸とする団体の結成といふ議が進められ、既に一部は実現をみたものもあつたのでありますが、なにぶん、それぞれの分野にはつきりした指導精神といふものがなかつたのであります。国民の後継者たる児童たちに、今、何を与ふべきかといふ問題は、なによりも、今日までの児童観、誤つた自由主義的な「子供を観る眼」から是正して行かなければならないのでありまして、それには確乎とした国家の方針が定められてほしいのであります。
そこで、翼賛会文化部に於て、先づ、児童関係の文化行政に従事する各官庁の主務官に参集を乞ひ、児童教育に造詣の深い各専門家との合同協議によつて、政府としての指導監督を各官庁まちまちといふこれまでの弊を除くこと、民間の専門家及び関係業者の間に緊密な交流連絡を行ふ組織を作ることを決定したのであります。
参考のために記しておきますと、現在、児童読物の監督検閲は内務省、絵本の指導推薦は文部省、演劇と紙芝居は警視庁、映画は主として内務省、玩具は商工省、幼児の哺育器具材料は厚生省といふ風に、専門があまりに分れすぎてゐて、それを綜合した統一的指導といふものが何処でも行はれてゐないといふことは、日本の「文化」を正しく育てるうへに於て、見逃すべからざる欠陥であります。
そこで、児童に関する学校教育以外の「文化」機構を、国民運動の一環として整備し、これを強力に推し進めるために、少国民文化協会なるものが生れたのであります。
この協会の活動によつて、例へば玩具なら玩具のほんとの「文化」価値が国家的な立場で考へられ、道徳的、科学的、芸術的な観点から、少国民の育成に最も適した、立派な玩具の製作配布が企図せられるでありませう。
国民組織としてこれも最近結成をみつゝある地域的職域的な団体、産業報国会、商業報国会、青少年団、日本婦人会、翼賛壮年団等は、いづれも文化部またはそれに相当する部を内部機構としてもつてゐますが、なかには、「文化」といふ意味を非常に窮屈に解し、または著しく軽く扱つてゐるところがあります。市町村等の自治行政機関の内にも、やはり文化部或は文化課といふ部門を作る傾向が現れて来ましたけれども、これまた、名前と実際とがどうも釣り合はないやうなものが間々見うけられます。
極端なものになると、「文化」即ち「娯楽」といふ風に考へてゐるのではないかとさへ思はれる節もあるくらゐで、多くは「芸能」に関することを「文化」の名で一括してしまふ非常識が平然と通用してゐるのであります。
[#7字下げ]九[#「九」は中見出し]
一二年来、全国各地方に、いはゆる「地方文化運動」といふものが起つてゐます。これも翼賛会文化部の提唱に呼応して、郷土理想化を目標とする新しい国民運動なのでありますが、これは「地方文化」といふものをわが国の伝統の基礎として、堅実に豊かに急速に発展させなければならぬ時代の要求を反映したものであります。従つて、地方生活のあらゆる分野に亘つて、その長所を伸ばし、弱点を補ひ、郷土愛の精神を拡大して、祖国への奉仕に通じさせる、戦時国民生活の強化運動とも見做さるべきものでありまして、そのために、地方のある一定地域に在住する「文化」職域の人々、並に、「文化」問題に熱意を有する人々の一致協力によつて、努めて綜合的な角度から、運動の企画と実践が行はれなければならないのであります。各々専門的な立場を固執して、独善割拠の傾向が生じたり、徒らに「文化」の意味を局限して、われのみ高しとするやうな風があつては、本末顛倒も甚だしいものであります。
「文化」とは、何をおいても、精神と精神との見事な組合せから成るものであります。争闘もまた調和のための争闘でなければなりませぬ。非常時局下の国民の一人一人は、わが国の重大な使命を自覚し、小異を捨て、大同につく覚悟を以て、何人の力をも無駄にさせず、敵は常に自己の内心にひそんでゐることを反省し、人と人との無益な対立摩擦こそ、国力を弱め、「文化」を破毀する原因であることを銘記すべきであります。文化運動に挺身すると称するものの、却つて陥りがちな「非文化的」行動を、厳に慎まなければならぬと思ふ老婆心が、私にかくの如きことを云はせるのであります。
[#7字下げ]一〇[#「一〇」は中見出し]
「文化」といふ言葉の氾濫はまことに困つたことでありますが、これは如何ともしかたがありません。
要するに、よく意味がわからぬ言葉は絶対に使はぬといふ節度が一般に保たれてゐたならば、こんな結果にはならなかつたでせう。これもまた憂ふべきわが国の現代的風景であつて、いづれは「文化」の向上によつてのみ救ひ得られる過渡的症状でありませう。
「文化」といふやうな言葉の意味内容の如きは、実際は、国民のすべてに理解されなくても、それはそれでいゝとしなければなりますまい。なぜなら、これはやゝ専門的な言葉の範囲に属してゐて、どちらかと云へば、普通の日常用語としては、意味の複雑な、しかも生硬な言葉であります。十分な訓練によつて思考能力の発達した人々の間で、正確な表現として用ひられなければ、殆どキザに聞えるほどの言葉であります。
底本:「岸田國士全集26」岩波書店
1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
1943(昭和18)年6月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
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