の当時、旧弊固陋に対する旗印として「文明開化」といふ言葉が流行しました。日本はもともと野蛮国でも未開国でもないのは勿論ですが、なにしろ、西洋文明の長を取り、急速に制度や風俗の改革を行はうといふのでありますから、勢ひ、新しきものはすべてよしとし、旧きものはすべて棄て去らうといふ極端な傾向が生じ、そのためには、西洋風でありさへすれば「文明開化」の商標をはることになつたのです。しかも、模倣は往々不十分な理解のもとに行はれがちであります。従つて、その頃の識者は、西洋文明の阻むべからざるを覚りつゝも、なほかつ同胞の軽薄な西洋崇拝を「文明開化の猿芝居」と嘲笑したくらゐであります。
「文化」といふ哲学上の言葉は、それよりずつと後れて日本では使はれだしたやうであります。こゝでもう一度この言葉の意味をはつきりさせておけば、「文化」とは決して、前に述べた「文明開化」の四字を二字につゞめた言葉ではなく、ドイツなどでは、文化は本来「精神文化」であつて、「物質文明」に対するものであるといふ解釈さへ行はれてゐます。しかし、これは、ドイツのある学者の説であつて、一般には、さうとは限りますまい。フランスなどでは、むし
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