教育(学校、社会、家庭を含めた)のうちに、これをつきとめなければなりませんが、一面、社会心理の方から見ていくと、これは明らかに、個人々々が「時の大勢に就かうとする」保身の本能から出てをり、また、もう一歩突つ込んで云へば「人が許しさへすれば、どんなことでもしでかす」といふ、かの群集心理に見られる信念の麻痺からも来てゐると思ひます。要するに、精神の矜りを失つた人間の、常に、「一番楽な道を通らう」とする、怠惰で、かつ、慾深い性質の現れであると、私は断ずるものであります。
 ところで、この「俗つぽさ」が「卑しい」ことであるといふ観念を、先づ青年が強くもつてゐて、世間の無自覚な風潮と飽くまでも戦つてくれさへすれば、現に一世を風靡してゐる「卑俗な」現象は、全くあとかたを絶たないまでも、少くとも、人前を憚からず横行することだけはなくなるだらうと、私は信ずるのです。
 それには、純潔な青年の魂が、おのづからもつてゐる「高きもの」への憧れ、「美しきもの」への愛、「真実なるもの」への傾倒を、ひたすら推し進める勇気が絶対に必要ですが、それと同時に、「高きもの、美しきもの、真実なるもの」をその偽物と峻別し得る
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