ます。一方で「卑俗」ならざるものを、「高尚」なりとするところから、それはもう、特別な人間の、或は特別な社会の、一種近づき難い領域であつて、さういふものは、当節、世間相手の仕事になんら役に立たぬといふ風な常識が通用してゐるかに見えます。従つて、「高尚」とか「上品」とかいふことは、聊か実質を遠ざかつた装飾のやうにも考へられ、言葉の悪い意味に於ける貴族趣味を代表するやうな、一種取澄した滑稽な表情をすら連想させるものとなつたのです。
「雅俗」といふ熟語なども、「雅《みや》び」に対して「俗」と云へば、それだけでは、別に「卑しさ」をまで意味しないのではないかと思ひます。なぜなら、「雅び」そのものが、繊弱華美を誇る限り、決して尊重されるべきものではないからです。しかし、「高雅」に対する「卑俗」といふことになれば、そこには、はつきりした価値の対立がみられます。なぜなら、「雄渾高雅」の趣きは、日本の国風を象徴する理想のすがたであると、私は信じるからであります。
そこで、再び、「俗つぽさ」の問題に帰りますが、この世間に通用してゐる「卑俗さ」の正体は、たしかに、前にも述べたとほり、理想なき政治と、功利的な
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